#49:「初秋の美濃路/中山道 欲張りポタ」(04/08/22)


夏も、もうそろそろ終わりですね。夏大好きの事務長は、少し悲しい気がします。
で、走り残した美濃路の大垣以西を、熊さんと走りに行ってきました。
ちょっと欲張って、中山道も少し回って、発見の多い濃尾平野最西端のポタでしたよ。

秋の紅葉シーズンには、イベントで出かけても良いかと思いましたよ!


今回は大垣以西の美濃路がメインなので、大垣までは主要地方道18号、一宮大垣線で移動です。
ですので、この間は単なる移動で、ご紹介する所はありません。

写真の場所は大垣市内、市役所そばで見つけた自噴水。私が知っているだけで4個目です。
恒常水温が13度で、夏は冷たく、冬は暖かいです。夏の時期の自転車乗りにはオアシスです。

この自噴水と言うのは、もとは河間(がま)と呼ばれて、揖斐川上流の地下水が流れて、
地表の割れ目から自然に湧き出る泉です。町名にも河間町が残ってますね。
しかし、最近、市内各所で人工的に掘り起こし、地下水の大量利用が心配され始めてます。


「四季の広場」です。「大垣美濃路探訪ライド+水まんじゅう」のイベントでも来ましたね。

この時期、ここは涼しくて最高ですよ〜!落ちる水を眺めながら涼を楽しんできました。
ここまで一気に走って来たので、疲労回復しました。

昼飯に「酒井亭」の「ニシンそば」と思ってたのですが、日曜は定休日!!残念でした・・・。


大垣市内から「美濃路」のスタート。

市街地外れの杭瀬川の「塩田の常夜灯」。
この杭瀬川は桑名〜大垣〜赤坂の水上交通が
盛んでした。ここ、塩田港(現、静里町)は
その中間地点として大変栄えたそうです。

常夜灯そのものの細工も素晴しいです。

川の雰囲気は左の写真の様に、緑が多く、
のどかで良いですよね!!


主要地方道31号、岐阜垂井線に戻って、
渡った先に「久徳の一里塚」があります。

ここも、尾西市起の「富田の一里塚」同様、
榎が現存しています。
(ただし、こちらは片側だけです。)


国道21号にを渡った辺りから「垂井町」で、そのまま北西に道なりに進みます。
しばらく進むと「綾戸の松並木」に出会えます。写真は、ちょうど「ユニチカ」の工場の近辺。
街道の松並木は現在では道路の拡幅や、交通量の増加によるクルマの排気ガス等で、
なかなか残ってません。一見の価値有りだと思いますよ!!

「中山道 垂井宿」到着です。「美濃路」のポタはここで終わりです。

左の写真は、江戸時代のままの旅籠「亀丸屋」。
この前が「枡形」と呼ばれる道をクランク状に曲げて、見通しを悪くして防備した所です。
写真に見える、2階の狭い窓から、街道を鉄砲で狙える様になっているそうです。

右の写真は垂井宿の無料休憩所です。

この後は、yamaさんのH/Pで紹介されていた「幻の垂井駅」を探しに北上してみました。


垂井町の北部の東海道本線を目指して、ゆる〜い坂道を進みます。
この「幻の垂井駅」と言う物の場所が分からなかったので、適当に北に向かって走りました。
ま、見つけられれば良いなって感じです。

垂井の街から4km程、やっと鉄道の架線が見えて来て、跨線橋に行き着きました。
さて、駅跡はどこだろうと眺めると・・・「あれかな?」ってのが有りました。
確かめる為に、跨線橋から線路の北側にある農道を進むと線路に出てしまったので、
線路を自転車を担いで渡ってホームに上がってしまいました。
しかし、ここ、本当は入っちゃダメなんですよね!駅跡西側の道路からは柵があって入れない様に
なってましたから。「良い子は絶対まねしちゃいけません!!」ってところです。

写真の様にホーム側の線路は撤去されていて、通過するだけになっています。

ところで、この「幻の垂井駅」とは?...調べてみました。

戦時中、大垣〜関ヶ原の下りは非常に勾配がきつい為、機関車(当然、蒸気機関車)を
追加していたのですが、輸送効率向上の為に急勾配を避けた形で造られたのが、この路線です。
その際、大垣〜垂井間の下り路線は廃止され、こちらがメインになりました。
その為、垂井での乗降客の為に新しく造られたのがこの「幻の垂井駅」です。
正式な名称は「新垂井駅」で、東海道線の電化に伴い、大垣〜垂井間下り路線が復旧され乗降客も
少なくなり、1986年に廃止されました。
現在この路線は、垂井駅に停車する必要のない特急や写真にあるような貨物列車が走ってます。


「新垂井駅跡」から、濃尾平野の北の外れの田園地帯を「中山道」に向けて走る事にしました。
その途中で「美濃国分寺跡」を見つけました。
広い敷地は緑に覆われ、当時の建物の礎石などが保存されています。
歴史的価値もですが、この広大なスペースはレクリエーション的にも魅力ありますよね。
ちょっとパノラマ風に写真をつないでみました。どうです?広いでしょう!!

秋のイベントで、紅葉と歴史探訪とかのタイトルでイベントしたいと思いますよ!
コンビにかどこかでお弁当を買ってここで食べるってのも良くない?(^^)/。

「美濃国分寺跡」の北側の歴史資料館の
駐車場にこの案内板が有ります。
これを見ると古墳や旧跡が多いです。

この後は「中山道」を「赤坂宿」に向けて
走る事にしました。
今回は予定無しのポタですが、これが楽しい
んですよ!!!


「中山道」の街道の旧跡や「関ヶ原合戦」当時の旧跡に出会いながら、「赤坂宿」を目指します。

「中山道 赤坂宿」に到着です。宿場の中心付近に谷汲への街道分岐が有ります。
その反対側に1区画全部をしめる大邸宅が!かつて、本陣を努めていた「矢橋家」の邸宅で、
明治時代の建物だそうです。

「赤坂港跡」です。朝、通った「塩田港」同様
「杭瀬川」の川湊です。
現在の杭瀬川は1500年代の水害で今の位置、
東に200mの所になったそうです。

水害後も、池田山からの豊富な湧き水からの水量で、
この場所で大正時代まで多くの船が行き来していた
そうです。

この建物は明治初期の洋風建築「金生山化石館」の
外観を復元した「赤坂港会館」です。
ちょっと、昔の交番を思わせる外観ですよね。


JR東海道本線の支線「美濃赤坂駅」。

ここはJRの旅客線駅であると共に、赤坂町
一帯にある石灰石の採掘場からの鉄道輸送の
取り次ぎ駅でもあります。
ここから石灰採掘場までは私鉄で、現在は石
灰石の輸送のみですが、かつては旅客運行も
行っていたそうです。
その当時の「赤坂本町駅跡」も残っていますよ。


「大垣」まで戻って来ました。最後の仕上げに「大垣美濃路探訪ライド+水まんじゅう」の
イベントでも立ち寄った「金蝶堂総本家」さんで、熊さんが「水まんじゅう」、私が「くずきり」を
いただきました。

この後は、一路、一宮〜大垣線で帰宅いたしました。

本日の走行距離:63kmでした。


今回のパンフ、地図はありません!!