#171:「八神の渡し 探索ポタ」(07/12/16)


先日の「祖父江黄葉・・・そのままお千代保」の際に見かけた「県営八神渡船場」。
非常に気になって、ネットで色々調べてみました。

調べてると、当然、現地を見て、もっと詳しくと知識欲が頭をもたげて・・・。
と言う訳で、出掛けて来ました。


興味の発端は「馬飼大橋」の「羽島」側
スロープ下に有る、この小屋と表示。

ネットで調べてみると、由来は、何度か訪れた
「八神城跡」に関連するのだそうです。

しかし、現在の場所が、本来の場所では無く、
本来の場所を求めてポタしたのです。


ちょっと、地図にしてみました。

以前、紹介したのが「駒塚の渡し」。
1726年に、名古屋藩宿老駒塚石河氏登城の為に設置、昭和31年の「濃尾大橋」完成で廃止。

で、今回の「八神の渡し」は、
1615年頃、尾張藩の重臣、八神城主毛利氏が、登城する為に設置、八神街道を開いたそうです。
廃止は、「駒塚の渡し」より、ずっと新しく昭和51年の「馬飼大橋」の開通時。

街道の長さも長く、「羽島 八神」から、「清洲」で「美濃路」に合流するまで。
そのほとんどの部分が、現在の「主要地方道 名古屋祖父江線」と、ほぼ重なります。

と、事前情報は、これくらいにして、さぁ、行ってみましょう!


「濃尾大橋」を渡って「羽島」へ入り、南下して行くと・・・。

新幹線、名神高速のガードを過ぎた先に、この道標が有りました。
『左 駒塚 方面 右 中野渡船場』となってます。


一度、堤防の上に上がって。

冬晴れの良い天気。

風は冷たくても、空気が澄んでるから
景色は、最高です。

遠く、雪をかぶった「伊吹山」が見えてます。

さて、もう一度、堤防下に降りて・・・。


左の写真の右の方、大きな木が「八神城跡」の大銀杏。
田んぼの端の集落に沿って、街道が有ったのかもです。

右の写真は、左の写真ほぼ中央辺りの「金魚の養殖池」の金魚(笑)。


「八神の渡し」の有った「猿尾」。

ネットで調べた情報によれば、
「魚勝」の前の道を堤防の上に上がった辺り。

実は、その前に「八神の渡し跡」の碑が
有るはずなんですが・・・見つけれません!

堤防の上から、見渡して・・・。
どうも、「猿尾」は、あれの様です。

「石田の猿尾」と呼ばれる2本のうちの下流側
「200間猿尾」の方です。

ネットで調べた「猿尾」の上の「渡船場」に続く道と言われる所。

現在は、こんなブッシュ状態・・・アラヤで薮をかき分けて進みます。

石畳とコンクリートで補強されてました。(写真:左)

先端部分の水中には、丸石が積み上げてあり、水深も深そうです・・・。

先端部分にて、頑張ったアラヤと記念撮影(?)

対岸の「愛知県」側は「木曽三川公園 ワイルドネーチャープラザ」です。
ここのどこかに、「八神の渡し」が有ったはずです。

が、本当に、こんな先端に船着き場が有ったのでしょうか?
「岐阜国道事務所」のH/Pに有った写真では、もっと「馬飼大橋」に近い感じも。
その写真が、正しいかは、不明ですが。

そんな疑問を持ちながら、「愛知県」側の探索に向かいます!

途中、河川敷には、船溜まりが有って・・・。
「八神の渡し」は、後年「木曽川郵便船」や「桑名」との定期船の停まる川湊として
発展したそうです。
案外、こう言う、船溜まりが後年の「八神渡船場」だったのかも・・・
なんて推測を巡らしながら河川敷をゆっくり走りました。


「馬飼大橋」を渡って・・・「愛知県」側に。

ひょっとして・・・もしかして、橋の下流側だったなんて・・・と思って、少し、南下してみたり。
そんな、痕跡は有りませんでしたが 笑。


「木曽三川公園 ワイルドネイチャープラザ」

ここのどこかに、「愛知県」側の渡し場跡が
有るはずなのですが・・・。

公園として改修されているので、
どれくらい残っているか・・・。
せめて、歴史的な碑でもあれば良いのですが。

中をグルグル走ってみましたが・・・綺麗な公園でした。
写真の場所は「ピクニック広場」。お弁当広げて、日差しを浴びて・・・なんて良いなぁと。

っと、本題から外れてました。

「羽島」側の「猿尾」の対岸辺り・・・堤防上の赤い旗(金属製ですが)。

これの黄色いのが、「羽島」側に有りましたが・・・渡船と関係あったのでしょうか?

と、「八神の渡し」に関する探訪は、未消化になりましたが、面白かったですよ。
で、この後は、少し「八神街道」を探訪してみる事にしました。


「祖父江緑地公園」の南の道が「八神街道」の「愛知県」側の始まりの様です。

そこには「祖父江七福神」の「長命山 苅萱堂」が有ります。
境内に「四国八十八箇所巡り」が有るのですが・・・阿波の国の隣が伊予国は、おかしいぞ。笑


街道っぽい、緩やかに曲がった道を進むと。

「祖父江 善光寺」の北側の道へ。
そう、先日の「銀杏ポタ」の時にも通ったし
今まで、何度も通ってて、何かの街道だと
思ってた道でした。

主要地方道を進んで行くと、「尾西病院」の
南辺りで、主要地方道は左に曲がるのですが、
「名鉄尾西線 森上駅」の南を通る細い道が
現在も残っています。


再び、主要地方道に合流し、「片原一色小学校」

ここの南側の門の中に、「八神街道」の碑が
有りました。


以上で、今回の「八神の渡し」探索ポタは終了です。
「八神街道」については、「稲沢市内」に幾つかの石碑が残されているそうなので、
後日、「祖父江緑地公園」から、改めて走ってみるつもりです。

さて、未消化の今回の目的の「八神の渡し」ですが、帰宅後、良い資料を見つけました。
国土地理院の「空中写真閲覧サービス」です。

「八神の渡し」は『MCB617-C17-15 愛知県稲沢市 昭和36(1961)年撮影』等で見れます。
本当は、画像を載せたいのですが、著作権等の問題も有りますので、興味の有る方はご自身で
探してみてください。
ちなみに「駒塚の渡し」も、これで「愛知県」側の位置が、はっきり特定できました。

本日の走行距離:約33.8kmでした。


今回のパンフ、地図はありません