#178:「中山道 美濃赤坂、垂井、里山ポタ!」(08/03/09)
春らしくなって来た日曜日、用事を済ませていたら、出発時間が遅くなって。 「美濃路」「中山道」を通って、「垂井」近辺を散策しに行く事に決定! 途中「美濃赤坂宿」から、いつもの悪戯気分で予定に無い散策を。 |
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「阿遅加神社」です。
いつもの様に「尾西庁舎」を出発して「美濃路」を走って行きます。 境内の梅の木は、小さいけど沢山の花を付けていて、ほのかに良い香りがしていました。 |
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「境川」の堤防にて。
毎年、菜の花(セイヨウカラシナ)で、まっ黄色になる場所です。 |
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「墨俣宿」入り口の「犀川」に掛かる橋から。
北を眺めれば「墨俣一夜城」。南を眺めれば、もうすぐ目を楽しませてくれる桜並木。 |
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「JR東海道線」のマンボ。
これマンボって言うみたいですね。 ここまで「美濃路」を大人しく走る予定でしたが |
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「揖斐川」に掛かる橋にて。
ここの橋の橋脚、どうも昔は鉄道に使用されていたみたいなんです。 |
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「中山道」との合流。
「平野井川」の堤防、「大島」地区にあるからか「大島堤」と言うそうです。 自転車のバックの木々は、桜並木なんですよ・・・ここも桜が楽しみなポイントなんです! |
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「中山道 三回り半」の碑にて。・・・「三回り半」は地名です。
「主要地方道156号線」を潜って、すぐに有ります。 ここから「中山道」のユルユルした曲りの道を走って行きます。 |
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「中山道 七回り半」の碑にて。・・・「七回り半」は地名です。
クネクネと何回も曲がって行きます・・・しかし、最後の「半」ってのは??? 採石で特異な様相の「金生山」が近くなって来ました。もうすぐ、「美濃赤坂宿」です。 |
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「美濃赤坂宿」への道。
単なる住宅街の中の道ですが、 もちろん、余所見して、事故の無い様に! |
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「杭瀬川」にて。
ここ「杭瀬川」には、ゲンジボタルが生息しているそうです。 |
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「赤坂湊跡」にて。
「杭瀬川」の河川交通の湊だった場所です。往時は、ここが「杭瀬川」だったのです。 右の写真は、その交差点にあった「御使者場跡」の碑。 |
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モダンな建物は「赤坂湊会館」。「金生山」にある「金生山化石館」の旧建物だそうです。
親水公園に整備された湊跡。今日は、ここでお弁当を広げました。 |
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「西濃鉄道 市橋線」と「赤坂本町駅跡」
「JR東海道線」の支線「美濃赤坂支線」の「美濃赤坂駅」に続いています。 現在も、石灰石輸送に使われているのでしょう。線路には錆が見られないですよね! |
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「赤坂宿本陣跡」と「赤坂宿」の町並み。
「皇女和宮」も宿泊した「赤坂宿本陣跡」は、公園の様に整備されてます。 宿場の中の道も、緩やかに曲がっています。この先に「赤坂宿」の碑が有ります。 |
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「中山道 赤坂宿」の碑にて。
常夜灯が、道しるべになってます。 ここで、不意に思ったのが |
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古い町並みを抜けた所にあった道標。
「たにぐみ道」と有りました。 現在、この先は、石灰石を生産する工場が |
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「杭瀬川」に再び出ました。
堤防上の道路が、良い感じだったし、 途中で、大きな東西の道に出たので、 |
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「池田温泉」と、山を越えて下った先の「大垣市野外学習センター」付近。
大きな道は「主要地方道53号線」。この先、「梅谷越」で山を越えますが、冬期通行止め。 トンネルまで登って、下って行くと「大垣市野外学習センター」。 |
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源氏縁の地、「円興寺」。
岐阜県屈指の古刹で、本来は山頂部分に、壮大な伽藍が存在していました。 |
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奥に入って行くと、立派な石垣の上に 境内が有りました。 「飛騨・美濃紅葉33選」にも選ばれるほどの |
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「東海自然歩道」を進んで行きます。右の写真は「円願寺跡」。
田園の中のあぜ道の様な所を進んで行きます。 |
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行く手の左側、木々がうっそうとしている場所が、「美濃国分寺」を建立するにあたって、 使用する瓦を焼いていた窯跡です。 足下の道端には「ホトケノザ」が可愛らしい花を咲かせて・・・春を告げてます。 |
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「美濃国分寺」
木々のトンネルを抜けると、 以前「美濃国分寺跡」に来た際、 |
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「美濃国分寺跡」
広大な敷地です。奈良時代の伽藍規模が分かるのは、全国的に見ても少ないそうです。 今は、芝生が枯れてますが、もう少ししたら、緑の絨毯になって、お弁当を広げるには最高です! |
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今日のお気に入りの景色の一つ。
最近MTBのアラヤで行動するのは、 あぜ道の様な所を、鳥や草木を眺めながら、 たまには、こう言うのも如何ですか? この後「幻の垂井駅」で珈琲(缶ですが)を |
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公民館・・・でしょうか?
木造のちょっと良い感じのする建物です。火の見やぐらと言い、そこだけタイムスリップした様な。 |
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「幻の垂井駅」にて。
戦時中、まだ機関車が蒸気機関車だった頃、「関ヶ原」への登坂は物資輸送でのネックでした。 ホームに出て座り込んで、珈琲をしました。 ゆっくりノンビリしていたら、自走で帰る気持ちを無くしていました。(笑) |
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立派な門構えの屋敷。
輪行で帰る事にしたので、時間が出来ました。 そこで以前「垂井」方面に来た際、「竹中半兵衛」 ですが、手持ちの資料がまったく有りません。 そうして見つけたのが、このお屋敷です。 |
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「竹中半兵衛」菩提寺の「禅幢寺」 目的の一つは、すぐに見つけられました。 |
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「竹中氏陣屋跡」にて。
がっしりした石垣に、白壁の山門。回りには堀を巡らし、如何にも戦国時代の陣屋跡です。 中も見てみたかったのですが、ちょっと、帰りの時間的に難しい・・・残念です。 |
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「菁莪記念館」にて
竹中氏は、天保年間に藩校として、道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導しました。 その向かいの角には、またまた、道しるべが有りました。 |
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「垂井の泉」にて。
「垂井」の語源となったのが、この湧き水です。敷地内の目につく所に湧いていますが、 この後「グルマン本店」で美味しいパンを買い込み、輪行するつもりです。 |
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「グルマン本店」・・・そして「JR垂井駅」
日曜日の、17時半ですので、あまり、種類が残ってませんでしたが、何種類か買い込み、 まだまだ「垂井」近辺は、回り尽くしてません。近いうちに「垂井」を探訪してみたいですね。 本日の走行距離:約54.6kmでした。 |
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