#179:「垂井界隈 気ままに探訪ポタ!」(08/03/15)
先週の日曜日、お昼から単独行で「垂井」まで走り、「垂井」近辺を散策しました。 今回は「垂井」をスタート/ゴールとし、旧跡や自然を堪能して来ました。 今回、御一緒くださった方々は、とっつあん_さん、NBさん、でした。 |
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今回のスタート/ゴールは、「垂井」の「グルマンヴィタル 垂井本店」から。
「国道21号線」沿いでは無く、少し北に入った「第2駐車場」に、集合です。 |
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駐車場から、左の写真の坂を少し進むと、小さなガーデンテラスが現れます。
右の写真の建物が、メインの店舗で、こちらからも店内に入れます。 |
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店内の様子(一部ですが)と、ガーデンテラスにある「石窯パン工房&ショップ」
お店のWEBの「店舗紹介」/「■垂井店のパン」/「■オリジナル」(他にもあります)で、 「石窯パン」は、メイン店舗内では無く、ガーデンテラスに面した「石窯パン工房」にて、 今回は、お昼ご飯用のパンに、私は、焼きたての「チーズフランス」と さて、お昼ご飯も手に入れたので、そろそろ出発しましょう! 「グルマンヴィタル」 http://www.epan.jp/index.html <垂井本店> *その他の店舗は、WEBにて確認くださいね! |
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「垂井の泉」にて。
「グルマンヴィタル垂井店」の第2駐車場から、 「路地裏探訪団」よろしく、「垂井の泉」へ。 先週は、夕方で気が付きませんでしたが、 |
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大けやき(樹齢300年以上)のすぐ下の升が本来の「垂井の泉」(写真:左) 少し水量が少ないみたいでしたが、その透明度は高かったです。 見上げると「大ケヤキ」。 |
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本通り(中山道)に出て、「垂井宿 お休み処」
昔の「旅籠」だった町屋を生かして、休憩所となっています。 |
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「垂井一里塚跡」と「日守の茶所」
「垂井一里塚跡」は、片側だけですが、ほぼ完全な形で残っています。 「日守の茶所」の建物は、関ヶ原山中の「常盤御前の墓所」に有った「秋風庵」で、 しかし、向かい風がキツいです・・・「関ヶ原」へ向かっての登りに加え、我慢の走行です! |
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「伊富岐神社の鳥居」
社殿は、ここよりずっと北に有ります。 「国道21号線」を潜る辺り、 |
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小さな川を渡って、1本目の道を右へ・・・ですが、間違ったみたい(笑)。
「東海自然歩道」です。この道も良い感じなんですが、今日は「伊富岐神社」へ向かわなきゃ! |
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「伊富岐神社」への参道です。
かつては、左半分に残る「石橋」だけの 長閑な風景の中、ゆったりと進んで行きます。 |
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「伊富岐神社 本殿」
「伊富岐神社」の由来は、右の写真をご覧下さい。(笑) |
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「伊富岐神社 大杉」
大きいです・・・本当に大きいです。上の社殿の写真のNBさんと比べてみてください。 |
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境内の東側に、道標がまとめて有りました。
本来の位置は、どこか分かりませんが、 「岩手」は「竹中半兵衛」の屋敷が有る集落で、 ここから、追い風に乗って「菩提寺」へ。 |
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「菩提寺」です。・・・三度目の正直(?)で来れました(笑)。
先ほどの「伊富岐神社」同様、豪族伊福氏の私寺だったそうです。 目的は、江戸時代中期に造られた山門。 |
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石段を上がって「本堂」。そばには、梅の木が可愛らしい小さな花をいっぱい付けてました。 | |||||||||||||||||||
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「菩提寺」と同じ山に「竹中半兵衛」の城「菩提山城跡」が有ります。
「菩提寺」の境内からも上がれます。登山口は、少し南に行った所で、写真の案内板が有ります。 |
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「竹中半兵衛 陣屋跡」
「竹中半兵衛」の子「重元」は、「関ヶ原の合戦」で「徳川方」についた為、所領を安堵。 今回は、中を見て回るつもりでしたが、現在、門と石垣、堀の一部が残るのみでした。 |
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「禅幢寺(ぜんとうじ)」
「竹中家」の菩提寺。「秀吉」の「中国責め」の陣中にて病死した「竹中半兵衛」の墓は、 |
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「垂井」近辺には、名高い梅の名所は 無いみたいですが、そこここに、梅の畑が 見られます。 「禅幢寺」の境内近くにも、写真の様な場所が。 |
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「岩手川」沿いに、登って行って、「渡辺邸」に向かいます。
「渡辺邸」は、この地方の名士なのでしょう。立派な門と長い塀の続く豪邸です。 その向かいには、「弥八の泉」が有ります。(写真:右) |
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「春日村」への街道は、こんな感じで、山へと向かっています。(写真:左)
お昼ご飯用の、珈琲を購入して、「旧垂井駅」へ向かいます。 戻り道も「渡辺邸」の横を通りますが、こんな感じ。道路がアスファルトで無く、 |
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「岩手川」沿いを登って来る途中、梅の木の綺麗な所が有ったので、ちょっと、寄り道。
写真に映っている木は、桜。桜の時期も良さそうでしょ? |
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今を盛りと、咲き誇る梅の花。香り梅なので、辺りは良い香りがしてます。 大きな梅園も良いですが、こう言う自然の中の方が、ゆっくり楽しめて好きです。 |
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梅を愛でるのは、人だけでは無い様です。メジロも蜜を求めて、やって来てました! | |||||||||||||||||||
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「旧垂井駅」です。
今日のお昼ご飯は、ここでいただく事にしました。 今日のお昼ご飯は、朝、「グルマンヴィタル垂井店」で購入した「ベーコンフランス」。 |
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実は、もう少し「大垣」よりの方に、広くなっている場所が有るのですが、今日は、風が強いので、 先ほどの写真の、民家の陰になる部分で、お昼ご飯としました。 ホームに有る桜の木、蕾が大きくなってました。桜を愛でる事が出来るのも、もうすぐです。 |
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「美濃国分寺跡」」・・・広大な敷地が凄いです。
お昼ご飯を終わって、風はまた強くなったみたい。それを背中に受けて、快調に走って来ました。 |
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「円興寺」です。
先週に、引き続き、立ち寄ってます。 奥に入っていって、階段上の境内へ。 これによれば、元来の「円興寺」は、 |
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敷地内にある、大木は「クスノキ」。
樹齢300年、下に行って見上げると、 |
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「如来寺」です。
「中山道」に入って、「善光寺如来」縁のお寺だそうです。 写真に見える灯籠の向こう側に「水準点」が有ります。見た事の無い方は、一度見てみて。 |
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「昼飯大塚古墳」
「昼飯町」には、いくつか古墳が有りますが、その中で最大級なのが、ここ。 菜の花(アブラナ)が咲いてました。 |
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「中山道 赤坂宿」です。
宿場の中心に有る辻。北東の角には「赤坂宿」のモニュメント。 南西の角には、土地の名士「矢橋家」。昔は本陣経営、現在は、大理石、石灰を営んでおられます。 |
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「赤坂湊跡」に有る「赤坂湊会館」。そして、「矢橋式日時計」。
初めて中に入ってみました。 「矢橋式日時計」は、その名の通り、前出の「矢橋家」の方が発明された物で、 |
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先週の記事で「金生山」の化石館の建物だった、と書いてますが、間違ってました。 この建物は、レプリカで、移築はされていません。 本物の建物は、この地の警察署として建築され、警察所が新しく他の場所に建った後は、 「金生山化石館」として移築されたそうです。 そうそう、「赤坂湊会館」の床の大理石のタイルには、化石がいっぱい有ります。 |
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「JR美濃赤坂駅」です。
「JR東海道本線 赤坂支線」の終着駅です。 ここから先には、「JR」としての線路は有りません。 この後、最初の予定では、南下して「美濃路」に入り、「垂井」を目指す予定でしたが、 |
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「御茶屋敷跡」・・・現在は「ボタン園」として、有名です。
駅から「中山道」に向かう途中なので、ちょっと、寄り道しました。 江戸時代、将軍家が休憩する為に、街道に4里毎に、土塁、空堀を巡らした「御茶屋敷」が 中に入ると、苔むした庭が綺麗でした。ボタンの季節に、また来てみたいです。 |
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「中山道」「美濃路」の「追分」(分岐点)。
写真の左方向から「中山道」で、戻って来ました。右前方に延びる道が「美濃路」で「大垣」へ。 ここまでにも、「照手姫」縁の史跡や、一里塚跡が有って、自転車を停めて見ては来たのですが、 |
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「垂井宿」の「東見付」
「追分」から「相川」を渡った所です。 この後、少し路地裏探訪して、出発点の 古墳時代〜戦国時代までの史跡の有る「垂井」。 本日の走行距離:約35.6kmでした。 |
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