#180:「野古墳群と谷汲華厳寺詣ポタ!」(08/03/29)


梅の季節も終わり、そろそろ桜の声が聞こえて来ましたが、まだ、ちょっと早い。
と言う事で、桜を前に、里山の春景色を楽しむために、出掛けて来ました。

のどかな田舎の景色、古代の遺跡、そして、春椎茸の味覚と楽しんで来ましたよ。
今回は、genさん、NBさんが、御一緒下さいました。


「リバーサイド・モール」を出発して「根尾川大橋」を渡って

実は、ここでミスコースしてます(笑)本当は「三水川」沿いに上がるはずでしたが・・・。
まぁ、用水路なんでしょうが、クルマも無く、若いけど桜の並木も有って、良い感じでしょ?
でも・・・今日も、向かい風がキツいです!!!


「揖斐二度桜」です・・・が、当然、まだ開花してません(笑)

ロストしましたが、そこは、何とかリルートして、ここへ。
この桜は、1本の枝で、1重、八重、そして、八重の花の中に、もう一度一重の花を付ける、
非常に珍しいものだそうです。(読みにくいけど、説明板見てみてね。)


「三水川」沿いに上って「旧 名鉄揖斐線」の廃線跡の鉄橋

「黒野」〜「本揖斐」間は、2001年に廃止(「岐阜」〜「黒野」間も2005年廃止)。
ですから、この鉄橋は9年も廃線・・・なのに、何故か塗装が新調されてました。

「三水川」沿いも、桜並木が続いています。もうすぐ、桜を堪能出来るでしょうね。


「旧名鉄揖斐線 黒野駅跡」です。

まだ線路は当時のままですが、長い間列車が走って無いので、線路は赤錆に。
右の写真は、振り返って「岐阜」方面。

廃線跡は、何故か哀愁が漂いますね・・・ここにも生活が有ったのですね。


「大野」の本通りです。

時代に取り残されたと言うと悪く思えますが、良い風情が残っている町筋です。
この通りは、推測ですが「谷汲」への参詣街道だったのでしょうね。


こちらは「旧名鉄谷汲線 黒野北口駅跡」

「谷汲線」は、先ほどの「黒野駅跡」から、今日向かう「谷汲華厳寺」への鉄道でした。
廃止が、こちらも2001年ですから、9年経ってます。が、ホームも路盤もしっかり残ってます。


「牧村家住宅」

築300年の藁葺き屋根の民家です。が、こちら、個人のお宅です。
なので、門からコソッとのぞいて、写真に納めました。(笑)


住宅地の花々。

「牧村家住宅」から、次は「野古墳群」へ向かうのですが、目を惹いたので寄り道。
ハクモクレン、紫モクレン、そして、この濃いピンクの桜・・・八重でビッシリ花を付けてました。


住宅街をウロウロ、路地を曲がると、この建物。

役場か、農協の建物でしょう。半分欠けた様な桜が、なんとなく風情が有って。

この木製の窓枠が、良い雰囲気を出してると思うんです。

右の写真は、掲示板横、郵便受けの上に掛かってた、大きな腕時計型の時計。現役で動いてます!
(NBさんから教えてもらうまで、気が付きませんでした(笑))


「野古墳群」です。

確か、この辺りのはず、と路地を抜けると、
畑の向こうに、大きな桜の木と墳丘が
見えました。

「不動塚古墳」と言うそうです。
元々は、前方後円墳だったそうですが、
現在は「方」の部分は削り取られて低く、
無いに等しくなってます。

桜の木は、満開に近く、その大きさは、
下に居るgenさんと比較してください。

この「野古墳群」は、狭いエリアに、
17基(江戸末期の地図では23基)の古墳が
密集して存在していて珍しい物だそうです。
その辺りの詳しい話は、詳しい方に今度、
教えていただきましょう!

のどかな風景の中に、墳丘が点在していて、
良い感じでした。
もう少し、草花が成長して、緑に覆われると、
もっと良い景色となるでしょうね。

*この「野古墳群」は、当サイトを見て下さる
方から『良い所だよ』とご紹介が有りました。


古墳群を抜けて、小さな川沿いに、「牛洞坂」を目指して、西に進みます。

左の写真は、両岸の緑の木が、対称的で面白くないです?
右の写真は、菜の花(多分セイヨウカラシナ)と、見えにくいですが奥の山際に桜の木々が。


川沿いの道から「牛洞坂」へ向かう大きな道へ出た所に、こんな案内板が。

「やまびこ水路」って何?・・・と言う訳で、ちょっと寄り道して、矢印の方向へ。
そこは、親水公園的に整備された水路でした。叫んでも、帰って来る訳では無いのね(笑)。

向こうの橋の所に、何か説明板でも無いかと、進んでみます。

橋の欄干の部分に「農業整備事業で・・・」とか書いて有りました。
ホタルも居るそうで、菖蒲も植えられているそうですから、時期が来れば楽しみな場所です。

そうそう、この橋まで右の写真の様なダートでした。純ロードのgenさん、ごめんなさいね!

この後、左の写真の右端に写っている桜が気になって、足を伸ばしてみます。


お寺か何かかなと思ってましたが、
何も無い広場の様です。
この奥に、お寺が有るので、そこの駐車場かも
しれません。

それはさておき、まだ3分咲きくらいですか。
でも、緑と桜の花の色の組合せ、綺麗でした。

さぁ、そろそろ「牛洞坂」で、「谷汲」方面へ
向かいましょう!


「牛洞坂」です・・・坂と言っても、十分、峠です・・・。

すぐ東の「野村坂(通称:大谷スカイライン)」よりは、登坂標高差は無いのですが、
貧脚の私には、十分、き、つ、い! 左の写真は、もうすぐ頂上の物(押してます、はい)。

右の写真は、頂上に有る「牛洞坂開通記念」の碑。碑と道路の角度が、傾斜度を示してるでしょ?
(でも、それほどの傾斜じゃないんだそうで・・・えっ、ホント!)

実は、少し東に「大谷トンネル」が開通してます。
そこを行けば、登らなくて済みますが、『旧街道チックでいいかな?』と(笑)。


坂を登ったら、次は、降ります・・・当たり前だけど(笑)

降りた先には、親水公園みたいな場所が有りました。
そして、その先には、半鐘(この字で良いのかな・・・)の有る櫓と、桜並木が良い感じ。
もうちょっとしたら、ここも、素晴らしいでしょう。

空には、面白い形の雲が浮かんでいて・・・と、ゆっくりしてましたら

NBさん、genさんは、お待ちかねの様子で、ごめんなさい!
「谷汲華厳寺」までは、この道を進んで行きます。


たぶん、こっちが昔は本通りと思われる
小学校の前の道へ。

桜、もうちょっとで満開、かな?
来週末くらいが、見頃じゃないかな(^^)


「道教え地蔵」・・・「谷汲華厳寺」への、参詣街道らしくなって来ました。

何故に、道教え地蔵なのか?・・・昔は、しゃべった?・・・訳では無く、
お地蔵様に『みぎ たにぐみ』と彫られているんですね〜(当たり前の話だけど、ね)。
安政三年となってますから、江戸時代末期の頃の物ですね。

お地蔵様のすぐ裏にも道標が有りまして、
『右たにぐみ 十八丁』となってます。

えっと、1丁は・・・約109m。
だから、約2kmと言う訳ね。

話は変わるけど、じゃ、『八丁味噌』の
『八丁』は?・・・知らないです!


「観音足跡の石」・・・確かに、足形に見えます。

この先に『重軽地蔵』と言う、お堂も有りました。きっと『おもかる様』なんでしょうね。


「念仏池」・・・由来などは、右の写真を見てください。

ただ、説明板の最後『渇水時も水を満々と堪え・・・』と有りますが、水、無かったです。


「谷汲山華厳寺」の参道へ、到着。

門自体は、宗教的な意味合いの物では無い様な・・・違ってたら、ごめなさい。
傍らには、『右:名古屋 米○(不明・・・裏の様な字)道』の道標が有ります。

「華厳寺」への参道の様子。

この参道には、桜とモミジが交互に植えられ、
春、秋(夏の若葉も)目を楽しませてくれます。

が、今は、まだ、こんな様子で。
まぁ、オン・シーズンだと、自転車で走ったりは
出来ませんけどね。

お土産屋、旅館、食堂の並ぶ参道の先に、巨大な山門が有ります。

地面に座り込んで、やっとカメラに収められるくらいの大きさです。
凝った建築は、さすが「西国三十三カ所 満願の寺」ですね。

右の写真は、自転車の中学生と交流するgenさんの図(説教してる訳じゃ無いですよ)。
同じルートで来たんだそうで・・・あの坂を、普通自転車で・・・・若いって、凄いな。(笑)

良い時間だったので、参詣の前に食事に。

上右の写真の角に写っている「富岡屋」さんで、
「しいたけ定食」をいただきました。

椎茸って、春にも採れるって、知ってます?
そう、今も旬なんですよ。
焼きたてを、ショウガ醤油でいただくんです。
良い香りがして、美味いですよ〜!

お腹も膨れたので、自転車を押して、本堂下まで行きます。

本当は、ダメなのかもしれませんが、自転車を連れて行きました。
本堂への階段下の宿坊の様な場所の近くに停めて、後は、歩いてです。

ここの参道は、苔むして良い感じの場所ですが、まだちょっと季節が早いのでしょう。

本堂へお参りします。

「西国三十三カ所」の最後、満願のお寺だけあって、立派で、荘厳で、歴史を感じさせます。
賽銭箱にお賽銭を納めて、参詣すると神妙な心持ちになります。
「西国三十三カ所参り」とは、「四国八十八カ所参り」と同じ様な遍路参りで、兵庫、大阪、京都、
奈良、和歌山、滋賀、そして岐阜と、近畿一円を巡る物だそうです。

賽銭箱上の「谷汲山」などの額は、長年のロウソクや線香の煙に燻されてました。


参道の南の方に、一般車両の駐車場が有りまして、その傍に「花時計」が有りました。

「谷汲観光資料館」の一部だそうですが、この「観光資料館」、日曜、祝日しか、開館して無い!
「西国三十三カ所参り」の資料もあるみたいで、見たかったのですが・・・仕方ないですね。


「旧名鉄谷汲線 谷汲駅跡(終着駅)」です。

「旧名鉄美濃町線 美濃駅」同様、駅舎、ホームが残されており、ホームには往時の電車が、
内部公開保存されています。

ホームに出てみると・・・まるで、時間が来れば発車する様な光景。

ですが、線路は上り下り2線が単線になった先で、撤去されてます・・・。

線路が撤去された路盤。

この先、杉林の中を東に向かっていたのですね・・・バラストが軽く締まった状態で、
MTBなら行けそうでしたが、ロード虐めになるので、ほんの少しスタンドの向こうまでで、
止めておきました(探検・冒険心をくすぐられましたが・・・笑)。

振り返ると、駅のホームまで線路は続いてますが、枕木はすでに朽ち始めてました。

この先、県道を進むと、路肩も狭く交通量も多いので、農道を進みます。
もし、この鉄道跡が遊歩道になれば「樽見鉄道」の「谷汲口駅」まで3.5kmほどなので、
良い遊歩道になるし、地元の人の利便性も上がるんですが、どうなんでしょうね?


菜の花(セイヨウカラシナ)の咲く、「北野畑駅跡」

かつては、対岸に有る「住友大阪セメント」の従業員も多く利用した駅だそうです。
駅舎などは有りませんが、ホームや駅の境界の柵は、そのままみたいでしたよ。


「来振神社」と桜・・・そして廃線跡。

「延喜式」にも記録の有る、この地方を代表する神社で、元々は、線路跡を挟んだ向かい、
「来振寺」の裏の「白山」山頂に有ったそうですが、良質の石灰石を産出する山のため、
昭和43年の採掘開始に伴い、現在地へ移されたそうです。

この季節、社殿を中心として点在した桜の木々が、ポっ、ポっと花を付けて美しいです。


「大野橋」で「根尾川」を渡り、
出発地の「リバーサイド・モール」へ。

「本巣市」は「富有柿」の産地。
柿畑の中の道を、追い風に乗って快適走行です。

実は、旧街道っぽい道を走る予定でしたが、
どうもロストしたようで・・・。
また今度、トレースしたいです。


「旧名鉄揖斐線 真桑駅跡」

午前中に行った「黒野駅跡」へと続く途中の駅跡です。
左の写真が「岐阜市内」方面。青緑色の車両は、線路撤去の工事車両。
右の写真は、「黒野駅」方面。

さて、線路撤去の後は、この長く狭い敷地は、どう利用されるのか興味深いですね。

そうそう、線路沿いの主要地方道には、
「揖斐線通り」の表記が有りました。

古墳探訪、華厳寺参拝、廃線跡紀行
と内容にまとまりの無いポタでしたが
もうすぐ帰着します。

まぁ、自転車の機動力を最大級に生かした、
好奇心を満たすポタだったと思いますよ!
今後も、この様なポタで行きます。

本日の走行距離:約43.5kmでした。