#199:「'08走り納め 垂井のんびりポタ」(08/12/29)


今年も残り少なくなりまして、最後の締めに、走って来ました。
のんびり過ごしたかったので「垂井」の里山へ・・・。

普段は通らない道を、右へ左へ・・・。
何度か出掛けた「垂井」でしたが、また新しい発見がありました。

来年も、こんな感じの旅を、楽しんで行きたいと思います。


「グルマンヴィタル 垂井本店」にて。

「垂井」市内某所に、車を停めて、まずは昼食用に、焼きたてパンを入手です。
お目当ては「ベーコン」の角切りの入ったフランスパンでしたが、この日は焼いてなくて・・・。
「チーズ・フランス」と「ドイツの黒い森(シュバルツバルトかな?)」を入手。

「グルマンヴィタル 垂井本店」の裏庭の風景は、日本とは思えないでしょ?


「垂井の泉」にて。

「垂井」の名前の由来となった、名水です。
手前の部分に、湧いている様に見えるのではなく、「大ケヤキ」の下に有るのが、本物です。

さて、普通なら、もう少し北に行って「旧 中山道」となるのですが、
今日は、路地をウロウロしたいので・・・。


「永法寺」の生け垣。

北風が強く、ちょっと、気分が萎えそうに
なっている時に、良い匂いがして。

どうも、この生け垣からの様子。
自転車を停めて、写真撮影しました。

う〜ん、花は終わりかけの様です。
来年は、狙って来てみましょうか。


「長屋氏 屋敷跡」にて。

説明によると、南北朝時代の終わり頃、
「足利尊氏」の宿舎となったのが、ここ。
この地の豪族「長屋氏」の屋敷だったそうだ。

今まで、「垂井」は何度か訪れているが、
ここは「旧中山道」に平行する道に有る為、
今回が初めてだった。


「旧街道」っぽい道にて。

先の「長屋氏 屋敷跡」の前の道です。
「旧中山道」は、この道より、北側。

ですが、道の両側に、お堂が有ったりするので、
江戸時代の五街道制定以前は、この道が、
主要街道だったのかもしれませんね。

つまり・・・「旧中山道」がバイパスで、
この道が旧道・・・だったりして(笑)。


里山を楽しんでます。

先ほどの道は、ほどなく「旧中山道」に出てしまいました。
普段なら、そのまま、西へのルートを取るんですが、今日のコンセプトからすると・・・。

適当な路地を北へ・・・です。が、なんと、住宅地に入ってしまって(笑)。

その住宅地を抜け出た所が、左の写真。なんと、お茶畑です!
「垂井」も、お茶が採れるなんて・・・知らなかった!!

そして、さらに、進むと・・・そうそう、こう言う景色が見たかったのです。(写真:右)


さらに、調子に乗って・・・。

そのまま進んで行くと、アスファルト舗装は無くなり、あぜ道の様相。
でも、MTB化した(と言うか、戻した、だな 笑)「アラヤ」に取っては、何ともない!

写真を撮っていて気付いたのですが・・・扇風機の様なのが、柱の上に。
そう、お茶畑に霜が降りない様に、って、以前聞いた様な。
行ってみると、一面のお茶畑でした。(写真:右)


「半鐘」の有る道にて。

お茶畑を後にして、クネクネと続く、
農道を北へ向かいます。

小さな川を渡って・・・。
お、またまた街道っぽい道だ。

前方の大きな木が気になるので、
この道を進んでみましょう。

「町指定 天然記念物 岩手のヤマモモ」でした。

説明板の通り、本来、ヤマモモは、九州や四国に生息する木だそうです。
それが、この「垂井:には、多く見られるそうです。

3〜4月に赤い花、6〜7月に実を付けるそうなので、狙って、ここも来てみたいな。


「垂井」には、道標がいっぱい!

先ほどの神社の横を、西に進んで・・・人様の庭先の様な所も抜けて(笑)。
もちろん、住人の方に出会ったら、元気に挨拶「こんにちは!」です。

「垂井」の町の北側を走る「バイパス」っぽい道を渡って、行くと有ったのが、この道標。
道標がいっぱい、と言っても、「明治時代」に入ってからの物ですが。

なかなか、良さそうな道なので、この道を進んでみましょう!


木の橋、見っけ!

やっぱり、こう言う道には、何か有ります(笑)。
近づいてみると・・・鉄道枕木を利用した、橋でしたが・・・。

小川の水は、綺麗だし・・・風は有りますが、良い天気で、気持ち良いし。
春になったら、また、来てみたいです!


大きな木の下で・・・。

進んで行くと、前方に、3本の大きな木が・・・下には、何かしらの神威の有る建物が。

まぁ、何か、分かりませんでしたが、少し、休憩。
お堂の土台に腰を下ろして、見上げた木と空が、良い感じなので写真撮影。


またまた「街道」っぽい道に・・・。

常夜灯や、お堂も有るし、由緒有る道の様です・・・。
自転車を停めてる塀のお宅は、右の写真の様に、奥まで続く、大邸宅でした。

道に面した側に回ると・・・。

格子が立派な商家の様です。昔は、旅館とか、してたのかもしれませんね。

敷地の角には、道標が。・・・これも、明治の物の様です。

川に突き出して立てられた建物と。

先ほどの、お宅の物と思われます。「川原倶楽部」と掛かってました。
こんな所に、泊まって宴会・・・ってのも、いいなぁ。

街道っぽい道は、大きく曲がりながら、西に向かうので・・・行ってみます。


「菁莪記念館」にて。

先程の道を進んで出たのが、「菁莪記念館」の有る道。
天保年間に藩校として、道場菁莪堂、明治時代になって、菁莪義校、菁莪学校として発展のを、
記念して立てられたのが、この建物です。

つまり、先ほどの街道は「竹中氏」の陣屋へ向かう、街道だったんですねぇ!


「JR東海道線 北線(でいいのかな?)」に出ました。

雲一つ無い、青空の下、風の強さが、ちょっと気になりますが・・・。

しばらう、線路沿いに進み、線路を渡って、「幻の垂井駅」へと向かいます。
(南側から、回れば、北に行かなくても良いんですが・・・ま、気分、と言う事で 笑)。

今は、農業倉庫のになっているのでしょうか?こんな建物も。
きっと、昔は、お店だったんじゃないかな?


「大石窯跡」・・・。

住宅の中を、クネクネと続く、古くからの道を進んでると・・・あれ?
この白い、説明板が有りましたが、ここは、今まで、何度も通ってるんですが。

停まって、近づいて見てみると・・・「美濃国分寺」創建の際に、瓦を焼いた窯跡だそうです。

右の写真奥の、土の壁の部分なんだろうなぁ・・・と、思って、自転車で走り出そうとしたら。

すぐ、北側の駐車場の奥に・・・。

こんな穴が開いていて。
きっと、煙突の跡なんじゃないかな?

しかし・・・今まで、なんで、
気が付かなかったんだろ?(笑)。


「遊景寺」にて。

先ほどの道を、そのまま進めば良いのですが・・・「垂井町サイクリング」の案内板が!
「遊景寺」への案内をしていたので、それて、行ってみました。

そもそも「遊景寺」って?と言う、疑問でしたが、ここの住職だった「橘幽景」と言う方が、
日本画の大家だったとの事で、案内されていた様です。(幽景記念館、が有りました。)

鐘突き堂を見上げたら・・・良い感じで逆光で。つい、写真を撮ってました。(笑)


「津島神社」が有りました。

「遊景寺」を後に、戻れば良いんですが・・・。
つい、その先へ。何かあるかな?って(笑)。

こんな所に「津島神社」だ!
奥へ、石段が続いていますが、そこはパス。

それより、その横の道が気になって・・・。
そう、ダートが、おいでおいで、している様な。


「里山」巡りでしたが・・・ちょっと、林道(笑)。

いやぁ・・・そんな登りも無くて、路面は、浅いダブルトラックで、走りやすいし。
ついつい、もうちょっと、もうちょっと、と、結構、山奥まで行っちゃいました(笑)。

でも・・・走り易いとは言っても、当然、ヌタヌタなのでした。
「アラヤ」、こんなとこ走ったの、初めてじゃないの?(笑)。


「幻の垂井駅」です。

林道を出て、南に行くと、見慣れた風景が見えて来ました・・・「幻の垂井駅」です。
いつもなら、すぐに、駅跡のホームに行くのですが、畑の中の道を進んで、駅の反対側から。

写真では分かり難いですが、タイヤは、まだ、ドロだらけで・・・。
でも、本来に近い使い方されて「アラヤ」は喜んでるかもしれないな(笑)。

南側から、グルッと回って・・・ホーム跡へ。

季節が良ければ、右の草原で、ノンビリ日向ボッコとかですが・・・風が冷たい(笑)。
しばらく、休憩して、さて、帰りますか!

と、駅跡の敷地を出ると、綺麗な用水が流れてる・・・おぉ、そうだ!!!
ここで、ドロの付いた「アラヤ」を、洗ってやる事にしました。


「垂井」中心部へ・・・「相川」の橋の上で。

春になると、鯉のぼりが、幾重にも、川を渡って飾られる「相川」です。(春の桜の記事参照)

振り返ると、雪をかぶった「伊吹山」が見えてます。
しばらくは、この雪山から、吹き下ろす冷たい「伊吹降ろし」に、悩まされますね(汗)。
でも、澄み切った冬の空気は、景色を綺麗に見せるから・・・冬のポタも、また楽し、です。

この後、市内某所へ戻り、車に積んで、帰路に着きました。

本日の走行距離:約17.6kmでした。

今年も、色々出掛けました。
色んな景色に出会い、美味い物と出会い、色んな人と話が出来て、そして、色んな知識を得て。
来年も、こんな感じで、ゆっくり、行きます(笑)。