#201:「ロウ梅を見て…岐阜界隈散策ポタ」(09/01/17)
寒い日が続いてますが、少し春の便りを耳にしたので、出掛けて来ました。 目的は「ロウ梅」。「岐阜市」の「梅林公園」で、今が見頃とか・・・。 「ロウ梅」だけでなく、「岐阜街道(鮎鮨街道)」や、「名鉄」の廃線跡とか、 参加いただいたのは、 参加いただいた皆さん、お疲れ様。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
集合は、いつもの「尾西庁舎」です。
集合時間前から、集う怪しい面々・・・じゃなくて、愉快な面々。 出発時刻まで、自転車談義で盛り上がって・・・さて、出発しますか? |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「名鉄 玉ノ井駅」にて。
「一宮駅」からの「尾西線」の終点の駅。 が、昭和19年までは、この先も線路が 右の写真奥、右手に曲がる辺りに、 |
||||||||||||||||
廃線跡の県道を北に向かい、旧国道の橋をくぐって・・・。
「尾西鉄道 木曽川橋駅跡」なる説明板が、「北方西保育園」に有ります。 旧国道の橋には、今でも「跨線橋」と入っているのが、廃線跡の証です。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「岐阜街道 宝江の追分」
先ほどの廃線跡から、時代はグっと遡って、 上左の写真、左が「名古屋」方面の「岐阜街道」 このすぐ北が、「宝江の渡し跡」ですが、 追分に佇む面々・・なんか面白い絵だな(笑)。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「旧国道」の「木曽川橋」で「木曽川」を渡って「笠松」へ。
ここの歩道の舗装ですが、特殊で水分を含む様な材質なんですが、乗っていて走行抵抗が有って、 橋の上から右手、川の中に、昔の橋の橋脚が残ってます。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「笠松問屋場跡」にて。
「岐阜県」側の「岐阜街道」は「笠松」からです。 今でも、古い家並が残っていたりしますので、路地裏探検も面白いですよ。 写真の「笠松問屋場」と言うのは、将軍家へ「鮎鮨」を献上する為の中継所でしょうか。 この先は、右の写真の説明板の『境川が洪水の時は、徳田村の方の堤を・・・』を走ってみます。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「中山道」との合流点「ぶたれ坊」前にて。
江戸時代の力士「2代目 鏡岩浜之介」は父を継いで力士になったが、土俵外での行いが お堂の前の道標に「東海道いせ○」「江戸木曽路」と有ります(写真:右)。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「加納宿」の「枡形」の角にある「だんごや」さん。
ちょっと小腹も空いたので・・・と「みたらし団子」なぞ、いかがでしょう(笑)。 |
||||||||||||||||
お店の前には、「中山道 加納宿」のウォーキング案内地図が置いてあります。
また、こんな(写真右)看板も有ったりします。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「荒田川」の橋の所の「加納宿」説明板。
「中山道 加納宿」についての、 ちょっとした公園の様になっていて、 「岐阜街道」「中山道」は、この先で、 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「梅林公園」入り口辺りにて。
左の写真、分岐して右手に延びているのは「名鉄 美濃町線」開業当時の線路跡。 今日は、風も無く日射しが有るので、お昼ご飯は「梅林公園」の芝生で食べる事に。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「梅林公園」です。
今の時期、当然ながら、梅は咲いてません・・・2月の頭くらいには、早咲きが楽しめます。 ほぼ貸し切りに近い芝生で、お弁当をいただきました。 |
||||||||||||||||
「ロウ梅」は、今が、盛りの様でした。
名前の様に、ほんと、蝋細工の様でしょ?食品サンプルで作れそうです。 「ロウ梅」も種類が有るみたいですが、良く知りません・・・匂いの有るのと無いのがあるみたい。 |
||||||||||||||||
普通の梅は?と言うと・・・。
まだまだ、こんな感じ。 花が咲きそろって来たら、 園内を自転車を引いて歩いていたら、 |
||||||||||||||||
行ってみると・・・咲いてました。
池のそばの、日当りの良さそうな場所の木に、こんな感じで。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「御薗の榎」と「橿森神社」。
「岐阜」と言えば「織田信長」が 今の時代になっても、こうして、 「橿森神社」社殿の背後には、大昔、神が |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「上宮寺の大イチョウ」。
すぐそばの「円龍寺」のイチョウ(写真:右)と、対みたいですが、由来とか、分かりません。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「善光寺」と「伊奈波神社」。
「岐阜」の多くの方が、初詣に行く(んじゃないかな)と思ってる、お寺と神社です。 「伊奈波神社」の本殿は、坂を登った先・・・横着して、下に有る礼拝所でお参りしました。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「岐阜大仏」の「正法寺」。
「日本3大仏」と書かれてましたが、どうなんだろ? 境内に、真っ赤な実を、いっぱい付けた木が有りまして・・・来る途中でも、大きな木を見ました。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「岐阜公園」です。
「斉藤道三」が開いて、「織田信長」も居た で・・・コソッと、みたらし団子を食べてたら 後は、それぞれに、話で盛り上がってましたね! |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「川原町(かわらまち)」(写真:左)と、「長良橋」たもとの「鵜匠」の像、です。
「川原町」は、町名では無く、湊町、玉井町、元浜町を相称して、こう呼ぶそうです。 で、「長良橋」で「長良川」を渡って、川の北側の古い町筋に行こうと・・・。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
こんな路地を、ユラユラ行きます!
「長良橋」の北詰を右手に行きたいのですが、 なので、もう1個向こうの信号で、渡って、 建物自体は古く無いのですが、 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「和菓子 松乃屋」さんです。
路地に、ひっそり・・・そんな感じで有ります。 |
||||||||||||||||
「アイス最中」なんですよ!・・・『この寒いのにぃ・・・』って言わないでね(笑)。
アイスクリームと言っても、今の、ミルクたっぷり濃厚な・・・じゃなくて、 専用の冷蔵庫から、注文を受けてから、御主人がすくって、最中の皮に入れてくれます。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
先ほどの通りの1本南は、「長良川」なんです!
写真の様に、一般車両が入って来れないので、ゆっくり、出来ます。 でも、今日は、日も傾いて来てますし、冬場で寒くなりますし・・・早々に、帰路に着きます。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「長良川」堤防の道は、こんな感じ。
アスファルト舗装の段差の無い歩道が、 私はロード車じゃないけど、やっぱり、 暖かくなったら、歩行者も増えますから、 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「鵜飼大橋」です。
水が流れている河川部分は、白いアームとワイヤーの美しい(と思う)斜張橋、 広い歩道で、所々に、休める場所も有って・・・ここも、夕涼みには、良いポイントです。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
再び、「中山道」に出て・・・「東の追分」
左の写真の右方向が「岐阜」方面。 地蔵様のお堂の脇に、道標が有ります。(写真:右) |
||||||||||||||||
「鮎鮨街道」の追分です。
「下川手往還」を通って、 左手方向が「岐阜」で、右が、先ほどの追分。 この後、一部「岐阜街道(鮎鮨街道)」を |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「笠松競馬場」です。
「笠松」と言えば、この競馬場も紹介しなきゃ。 左の写真の様に、コース内側に畑が有ったりします(笑)。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「笠松港跡」の公園。
と言っても「笠松港」を記念した公園、 綺麗なトイレが有るし、川風に吹かれるには、 現在改修中の「川湊」付近には、以前の かなり日が傾いて来たので、帰路を急ぎましょ! |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「木曽川河川敷の遊歩道」です。
「尾濃大橋」を少し下った所まで完成している遊歩道。 右の写真は「旧尾西市 起」辺り。ここから東に向かえば、「尾西庁舎」に行き着きます。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
「尾西庁舎」帰着!・・・全員無事に、帰着しました。
若干1名、信号に引っかかって、遅れて帰着・・・パフォーマンスは?笑顔かな(笑)。 街道探訪有り、廃線跡有り、路地探索有り、そうそう、メインの「ロウ梅」有りと、 本日の走行距離:約46.3kmでした。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||