#227:「鉄風味♪・・・東濃鉄道廃線跡ポタ!」(09/12/13)


鉄道ファンと言う程でも無いのですが、鉄道の有る風景や沿線の町の様子が好きなんです。
それは、廃線となった後も残っていて、そこがまた遊歩道になんかなってると最高で♪

と言う訳で、岐阜県は土岐から駄知までの「東濃鉄道 駄知線廃線跡」、
多治見から笠原までの「東濃鉄道 笠原線廃線跡」を走って来ました!

「片鉄」の様な復元駅舎などは有りませんが、どちらも遊歩道になっていて、
ノンビリと楽しめました。

今回、御一緒いただいたのは、ミツさん、に私の2名でした。


今回のスタートは「JR多治見駅」北口から。

写真の場所は、すでに「土岐川」の「多治見橋」。
北口をスタートして、旧街道と思わしき道を通って来ました。

これから「JR土岐駅」まで、「中山道 下街道」をだいたいトレースで向かいます♪
右の写真は、その「土岐」方向を見たもの。『あの山を越えるんだな・・・』と(笑)。


「多治見」の町の「下街道」にて。

ちょっと良い雰囲気の町並みが、続いてます。

街角に、道標が有りましたが、何と書いてあるか読めませんでした・・・。
近くに交番が有りますが、そこも、景観に合わせてタイルの蔵っぽい外装で♪

自転車を停めている路地を左折して行くのが「下街道」。
なお、「多治見宿」と言うのは無く「生田」が往時の地名だとか。


「神明峠」の頂上にて。

「生田」地区の終わりから、国道に出る部分の「下街道」は残っていません。
ですので、国道19号線を来ましたが・・・けっこうなアップダウンで。

実は、ここの前の、左手に入って行く道が「下街道」なのですが、凄い登りのダートなのでパス!(笑)。


「東濃鉄道 駄知線廃線跡」です。

「土岐川」に掛かる「永久橋」のすぐ横です。
グランドレベルの変化が急過ぎるので、遊歩道の向かって左手の、ちょっと低い場所が、廃線跡かも。

右の写真の、橋から2件目と3件目の間の、少し空間が有る部分から橋梁が掛かってたそうです。
が、河川改修によって、堤防の高さが高くなっており、往時の面影は有りません。
この橋梁が、昭和47年の豪水害で流されたのが「東濃鉄道 駄知線」の廃線の決定打となったみたい。

それでは「土岐駅」方面に、遡ってみます♪


「東濃鉄道 駄知線廃線跡」の遊歩道です。

「JR中央線」に徐々に近づいてます。が、この先で、路盤跡と思われる所から、降ろされます。

で、少し、注意して走ると・・・橋台跡が有りました!
帰宅して調べたのですが、ここら辺りが開業当時の「新土岐津駅」跡だったみたい。
石段部分は、駅に上がる階段だったのかな?


「東濃鉄道 駄知線廃線跡」・・・今は駐車場です。

当然、石段を担いで上がって(笑)。上がった部分は、草は茂ってますが広いスペース。
駅跡を想像させる部分は、見当たりませんでした(草に埋もれてるかもですが)。

では、交通の便を良くする為に「国鉄 土岐津駅」まで延ばされた部分を進んで行きます。


「東濃鉄道 駄知線廃線跡」・・・「土岐津駅」跡です。

今は駐車場になっている、この部分、「東濃鉄道 駄知線」は、沿線の特産品の陶器や、
その材料の陶土の輸送を大きく担ってましたので、広いヤードが有った様で、そのスペースかもです。

右の写真のフェンスの向こう側、今は「JR土岐駅」のホームが「東濃鉄道 駄知線」のホーム。
自転車が停まっている辺りに、車止めが有ったのかもですね。


「東濃鉄道 駄知線廃線跡」の遊歩道です・・・その2。

「JR土岐駅」から「土岐川橋梁」が有った部分に戻り、「永久橋」を渡って対岸部分。
写真の様に、廃線跡の遊歩道がずっと続いてますねぇ♪

それでは「駄知」に向けて走って行きましょう!


「東濃鉄道 駄知線廃線跡」の遊歩道です・・・その3。

「片鉄」の様に、駅舎やホームが残されてる訳では有りませんが、鉄道跡らしい道が続きます。
沿道には桜の木も多く、春先には、また別の楽しみも有りますねぇ!

で、「下石(これで『おろし』と読むそうです!)」地区で、廃線跡を外れて、今日のお昼の楽しみへ♪


讃岐うどんと、じねんじょ、陶器の店「郁兵衛(いくべー)」さんです。

本業は「イクオ陶苑」と言う陶器屋さんの様で、うどん屋の営業は、金、土、日、月のみ。
陶芸の卸で、四国を回っている時に、地元の粉を紹介してもらい、今も直送で使用されてるとか。

お店と言っても、写真の様に古い民家をそのままで使用されてます。
ですので、玄関に靴を脱いで、座敷に上がって・・・まるで知り合いの家に来た様な感じ♪
トイレは家の外の縁側部分に有って、『婆ちゃん家に来たみたい』(笑)。

左の写真の様に、メニューは「ころうどん」と「釜揚げ」のみ。
それに「じねんじょ」の「とろろご飯」が付いたセット。

今日は寒いので、当然「釜揚げうどんセット」を注文しました。(写真:右)
いつも行く「綾小町」のうどんより細めでしたが、「外やわ・中もち」な食感で、
3時間掛けて作られるタレも、もちろん「とろろご飯」も美味しく、大当たりでした♪
(ちょっと量が少ない感じも有りました・・・大盛りが良いかもね!)

讃岐うどんと、じねんじょ、陶器の店「郁兵衛」
http://www.ob2.aitai.ne.jp/~ikuo-t/index.html

住所:岐阜県土岐市下石町阿庄下378 
電話:090-9926-6924(イクオ陶苑:0572-57-2961)


五平餅の「又おいでや。」さんです。

美味しいうどんを食べたのですが、量的に物足りない・・・「郁兵衛」さんに向かう途中に有った
「五平餅」の文字に、ミツさん反応!もちろん、私も反応して、立ち寄る事に!!

右の写真に有る、並んでいる陶器が、また安いんですよ!・・・マグカップ大¥80円、購入しました。

左の写真に有る様に「ネギ味噌」「バジルチーズ」「梅」「ピリ辛」「ピザ」
「カレー」「にんにく」「チーズ」と変り五平餅も有ります。

注文を受けてから焼いてくれるので、香ばしさもバッチリ!
ちょっと外がカリッとした所も有って、美味しいったら!!
さっき、美味いうどんを食べたばかりなのに(笑)

堪能した後、周辺の路地を散策して、廃線跡に戻りました。

五平餅の「又おいでや。」   http://www.geocities.jp/mataoideya/index.htm

住所:岐阜県土岐市下石町223-2  電話:090-9190-7771 0572-57-6511
定休日:月・火曜日          営業時間:10時〜18時


「下石駅」跡です。

沿線の駅の中で、ここだけは覚えてまして(笑)。今も、バスターミナルとして活躍してます。
しかし、当然、駅舎が残っている訳ではありません。駅前広場のたたずまいが残ってます。

右の写真は、ターミナルの裏手に回って、「土岐」方面を見た写真。
ずっと真っすぐに、ターミナル裏手まで、路盤が延びていたと想像出来ますね。


再び、廃線跡の遊歩道を進みます。

沿線には、多くの陶器工場が有って、その中を廃線跡が通ってます。

右の写真は、県道66号線の交差部分。壁と天井に、鉄道で使われていたと思われる碍子とか有ります。


どんどん、廃線跡の遊歩道を進みます。

「土岐紅陵高校」近くを過ぎた辺りに、こんな広い土地が有って『駅跡じゃないかな?』と思いました。
が、帰宅後調べた所、どうも、陶器工場の跡だったみたいです(笑)。


「土岐市勤労青少年ホーム」の前を通って・・・。

左の写真の中央の建物が「土岐市勤労青少年ホーム」で、その先は遊歩道は無くなります。
そして、廃線跡は右の写真の、左の土手状の下の草原部分。

ここから先、緩やかに高度を上げて行く為に、切り通しになっていたそうです。


「山神駅」跡です。

桜の並木から『駅跡じゃない?』と思っていましたが、帰宅後調べたら「山神駅」跡でした。
「駄知線」に詳しい方のH/Pの記事によると、左の写真、中央の草が茂ってる所に、
ホーム跡の石垣があるみたい。・・・しまった、見逃したな(笑)。

で、右の写真の様に、築堤が続いて行ってます。私たちも、その方向に進んで。


築堤部分の橋台です。

高度を稼ぐ為の築堤ですから、当然、道と交差する部分には、橋梁が掛かってました。
道を拡幅するのに、消え去る事が多いのですが、当時のままの形で残ってました。

で、築堤の右手、竹やぶの方向はどうなってるか、気になって・・・行ってみました。
右の写真の様に、竹やぶが浸食して来て、自然に帰ろうとしてました。

当然、行ける訳無いので、左の写真の道を迂回します。
(行けても行かなくて正解で、この先は、県道の切り通しになっていて、県道に落ちます。笑)


「駄知」の集落に入って、再び廃線跡の遊歩道・・・そして「駄知駅」跡。

「南山」の交差点に有ります。交差点から西へ、県道方向に路盤は有ったそうなんですが・・・。
そして、「駄知線」唯一のトンネルも・・・と言う事で、ここの前に行ってみましたが、無い!

無い訳で、今の県道を造った際に「駄知」側の出口は、埋められたらしいです。
(「山神」側の入り口は、雑木林の中に、ひっそり残っているそうですが・・・。)

廃線跡の遊歩道を進んで行くと、右の写真の「東鉄バス」のガレージへ。
ここが、「駄知駅」跡で、写真中央(バスの向こうの)の建家が、列車車庫だったそうです。
現在も、ここの地名は『西駅』と呼ばれてるそうです!


民家の間を縫う様に・・・廃線跡遊歩道を進みます。

本当に『縫う様に』と言う言葉通り、民家のすぐ裏を通っていた様です。

で、右の写真は、旧の県道と交差する部分。今は、遊歩道用に横断陸橋が出来てますが、
当時は、当然、踏切・・・私たちは見落としましたが、警報機の土台が残っているそうです。


この先で「駄知線廃線跡遊歩道」はお終い。

この先、黄色い柵が有って、そこで遊歩道は終わります。四季桜が咲いていたので、写真撮影♪

遊歩道は終わりますが、終点の「東駄知駅」跡は、もう少し先。と言う訳で、行きましょう♪


終点の「東駄知駅」跡の全景です。

駅前特有の広場が、バス停と言う形で残ってました。
自転車置き場からクルマ3台方向にホームが有ったそうです。

ホームの有ったであろう位置から、先ほどの四季桜方向を見たのが、右の写真。
工場の空きスペースが、当時の路盤跡でしょうね。

コンビニ横の電柱の地名表記に「東駅」と。
鉄道現役当時の呼び方が生きてました。

コンビニの年配の店員さんに聞いた所、
今もアスファルトの下に、線路が埋まってるとか。
真意の程は分かりませんが、何か嬉しい(笑)。

さて、ここからは山間部を登って、
「柿野温泉」経由で「笠原線」の終点
「笠原」へ向かいます。


苦手な登り区間です・・・ユルユルと登って行きます。

キツく無い事は無いです。でも、ここの登りも、キツい所、緩い所と交互に有るので、
登っていて気分的には楽でしたね!

右の写真の、下方向から登って来ました。
ポケットパーク的になっているので、ちょっと休憩・・・キツいですもの(笑)。


「曽木」の集落で。

「道祖神」の大きな碑が有りましたので、旅の無事を祈って、写真撮影。

右の写真の様に、この辺りはダラダラとした登り坂で。


「国道363号線」に出て。

「国道363号線」も古くからの街道で、「中馬街道」と呼ばれていたそうです。
今でも整備された国道の脇に、往時の道が残っているそうです・・・走ってみたいですね♪

ちょっとした峠部分の頂上に「津島神社」の祠が祀ってあり、由来の説明板も有りました。


ちょっと飛んで「笠原」の町です。

「国道363号線」で「柿野温泉」を通り、その先で、県道へ入って。
何故に飛んだかと言いますと・・・快適な下りを、思いっきり楽しんだからです♪

小さな田舎の町(地元の方、失礼^^;)と思ってたのですが、右の写真の様な、近代的な公会堂も!

ここで、ミツさんリクエストで、寄り道します♪


ミツさんお勧め、その1の「三千盛酒造」さんです。

以前の忘年会で、ご持参いただきましたね。ほんと美味かった!
この日も、ちょっとだけ聞き酒をさせていただきました♪(ほんとに、ちょっとだけだから!)

店内の様子です。

進物用の詰め合わせが並んでますが、
お酒と陶器の組み合わせが、面白いです。
きっと「笠原」が陶器の町だからでしょうね!

詰め合わせの横の木組みの物は、
お酒を搾る酒舟の模型だそうです。


「東濃鉄道 笠原線」の「笠原駅」跡です。

それでは「東濃鉄道 笠原線廃線跡」を訪ねながら「多治見」に戻ります。
まずは「笠原線」の終点だった「笠原駅」の跡。現在は「東濃鉄道」のバス基地になってます。
敷地入り口の横の植え込みに、右の写真の説明板が有りました。

詳しい方のH/Pによると、左の写真のコンクリート部分辺りが駅舎だったみたいです。
当然、私有地で中には入れないので、「多治見」側に回ってみます。


線路が、まっすぐに、敷地の中に延びていたのでしょうね。(写真:左)

で、右の写真は「多治見」方面を見たもの。
工場と、民家の間の砂利道部分に線路跡が有ったと思われます。

この先「上滝呂橋」近くまでは、「笠原川」の左岸側を走っていたそうですが、走行不能。
なので、県道を進んで行きます。


県道との交差部分・・・当時は、踏切が有ったでしょうね。

左の写真は、県道から「笠原」方面を見たもの。
道路工事の真っ最中・・・遊歩道として延伸されるのなら嬉しいですが、どうなんでしょう。
この写真の右手の切れている部分に、遮断機の土台らしき物が有りました。

右の写真が「多治見」方向を見た物で、ここから「陶彩の径(みち)」が始まります♪



ミツさんお勧め、その2・・・「栗羊羹」「栗だいふく」の「港屋」さん。

県道を越える橋を過ぎてすぐ、「陶彩の径」から左にスロープを降りて、西に向かった突き当たり。

お勧めの「栗だいふく」をお土産用と、その場で食べる様に購入。
甘すぎず、1個丸ごと入っている栗の香りもしっかりしていて、美味かったです!


再び「陶彩の径」を進んで行きます。

左の写真、名残の紅葉とサザンカの花が良い感じで撮影しましたが、
ちょうど、この辺りが「下滝呂駅」跡。写真の右手方向に有った様です。

右の写真の様に、桜並木がずっと続いてます。春の桜シーズンに、また来てみたいですね♪


「陶彩の径」の始点に有る碑です。

快適な「陶彩の径」も、終わりです。そこに有ったのが、この碑で、往時の写真が載ってます。
特に右の写真、こんな民家の近くを蒸気機関車が走ってたんですねぇ。^^

本日の廃線跡ポタのメインは、これで終わりですが、「新多治見駅」跡も見てみましょう。


「土岐川」の堤防の橋台跡です。

堤防沿いの道をオーバーパスする鉄橋の
橋台跡です。

この橋台と堤防上の高さの関係だと、
堤防の高さは、往時から変わって無い様です。


「新多治見駅」跡付近・・・今回のポタはここでおしまいです。

左の写真は、まっすぐ堤防から来た線路が「新多治見駅」に向けて曲がっている図。
クルマの右横の家の上に、「東鉄」のビルが見えてます。

右の写真が駅跡方面を見たもの。
昔の航空写真から推測するに、駐車場のゲート辺りが駅舎の有った場所かな。

「駄知線」「笠原線」共に、遊歩道化されていて、快適でした。
やはり鉄道沿線には、生活が根付いていて、良いですねぇ♪
こう言う「鉄風味ポタ」、今後もやって行きます!

本日の走行距離:約59.5kmでした。