#231:「岐阜梅林公園と中仙道ポタ!」(10/01/30)
穏やかな休日、梅の便りを聞いて、「岐阜市」の「梅林公園」まで出掛けて来ました。 帰路は、大回りして市街地の「中仙道」をだいたいトレースもして来ました。 旧街道を通って、旧跡や寺院を訪ねたり、甘味所に寄り道したりと、 いつもの様に、マッタリした一日を楽しみました。 御一緒いただいたミツさん、有り難うございました。 |
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「木曽川」河川敷の「木曽川尾西緑地」です。
いつもの「尾西庁舎」をスタートし、最近MTBで遊んでる、ここへ。 |
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河川敷の公園です。
先ほどの遊歩道は、まだ未完成で、 そのまま「尾濃大橋」の下を潜って、 写真の様に駐車場も有り、春を過ぎれば、 |
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「木曽川 笠松湊跡」です。
ここ数年、整備工事が進んでましたが、後少しで完成かな。 「常夜灯」右手の、公園最下段に下りる右手の坂は、写真の様に、川湊への石畳が保存されてます。 |
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「笠松 港公園」です。
ここが最初に整備工事が完成しました。 また、河川敷の部分は芝生の広い広場や、 |
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「岐阜街道(御鮨街道)」の分岐です。
「笠松」の街を抜けて「岐阜市街」へ。 写真の地蔵堂の左手に行くのが「岐阜街道」。 今回は「梅林公園」なので、左手に行きます。 |
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「ぶたれ坊」です。
江戸時代の力士「鏡岩浜之介」由来。 左の写真の道標に「東海道 いせ道」となってるのが、見えるでしょうか? |
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「中仙道」は左に・・・道標が有ります。
「立花屋薬局」さんの前の交差点、北に向かって北西の駐車場の隅に、道標が有ります。(写真:左) 本日は「梅林公園」へ行くので、普通なら、ここを北に(要は真っすぐに)行くのですが・・・。 |
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こんな路地を行きます(笑)。
道標の写真を撮ってると、地元のおじさん達が自転車で、この路地へス〜っと! 抜けた先には、こんな可愛い踏切が。この短い遮断機、妙に、面白くないですか? |
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「梅林公園」到着です。
『梅の花の便り』とは言っても「ロウ梅」は盛りですが、「寒紅梅」は開花始めたばかりなんですけどね。 で、園内をウロウロして・・・。 |
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「寒紅梅」へ。
「D51(蒸気機関車ね)」が公開展示/保存されてる、すぐ北側の池のそばに有ります。 |
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「瑞龍寺」です。
「梅林公園」から「柳津」方面へ。右手に、立派な総門が見えます。 一つのお寺だけでなく、総門を入ると、左右に合計6つの寺が有るんですよ。 |
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「粕森公園」です。
由来の有る「橿森神社」の有る公園。公園の隅のループ階段は「水道山」への登山道。 余談ですが「国土地理院」の「国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システム」で、 |
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「中仙道」に戻って・・・とある街角で。
「岐阜市街地」の「中仙道」を走ってみたくて、「粕森公園」から、先ほどの「立花屋薬局」さんの前へ。 左の写真の幟の有るお店は「中仙道」の説明や案内をしていただけるそうです。 右の写真、側溝の蓋のグレーチングの蓋に「中仙道/御鮨街道」と入ってました。 |
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「中仙道」と「御鮨街道」の分岐。
写真の左方向が「中仙道」、右手が「御鮨街道」です。 カラー舗装に従って・・・左手「中仙道」の方へ。 |
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「加納城」跡です。
「関ヶ原の合戦」後、「岐阜城」が廃却され、その代わりの城。 本丸部分のグルッと取り囲む石垣が残っていて、その中が芝生の公園となってます。 実は、カラー舗装に沿って来たのですが、ここの北側「加納大手町」辺りで、無くなって。 |
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「加納天満宮」です。
「中仙道」に戻る途中、町中には珍しい木々と鳥居が見えたので寄ってみました。 ここも歴史が古く、由来は「斎藤道三」が「稲葉山城(岐阜城ね)」に移るより、ずっと前だそうです。 ここ「加納町」には、9基の山車が有ったが、現存するのは、ここの1基のみだそうです。 |
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街道らしい道。
市街地のまっただ中ですが、写真の様に、 でも、ここ、結構、交通量有るんですよね・・・。 |
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「鏡島弘法」です。
正式名「乙津寺(おっしんじ)」と言う、臨済宗妙心寺派のお寺です。 天平の頃「行基」が草庵を起こしたのが始まりで、後、「空海」が再興したと言う伝承だとか。 |
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境内の様子です。
立派な本堂です。「弘法大師」のお寺らしく「四国遍路」の記念写真が飾られていたり。 右の写真は、本堂の南から本堂へ向かう回廊。御地蔵様(?)がいっぱい祀られてます。 この後「中仙道」で「美江寺宿」まで行くつもりでしたが、日が陰って来て、結構寒い。 |
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「甘味所 みつはっちゃ屋」さんです。
「河渡橋」を渡って「長良川サイクリングロード」で南下。 「JR東海道線」の「穂積駅」の南口から、駅下のガードを潜って、北へ道沿いに100mくらい。 右の写真、左から「しょうゆ」「あずき」「黒ごまキナ粉」。 |
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いつもの休憩所・・・「墨俣一夜城」です。
かつて「ふる里創成資金」で建てられた、現代の城です。 右の写真の様に裏手の水路に、時々「カワセミ」が現れます。 |
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「墨俣 寺町」の「光受寺」です。
「梅」繋がり戸言う事で、「枝垂れ梅」が見事な「寺町」の「光受寺」に寄り道です。 「寺町」は、左の写真の様に、白い土塀が続いてます。 |
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「鎌倉街道跡」です。
起源は、名前の示す様に「鎌倉時代」でしょうか。「美濃路」より、もっと前の時代の街道です。 案内板には歴史の教科書に出て来る「大海人皇子」の名前が有りました。 |
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「長良川サイクリングロード」の橋です。
「長良川サイクリングロード」のモニュメント的な橋です。 ここから、サイクリングロードで「県道18号線」へ。「羽島大橋」を渡って「羽島」へ。 |
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「羽島市江吉良」にある街道分岐です。
「羽島大橋」を渡って「羽島」の町に入ると、県道は交通量が多く、快適とは言えません。 左の写真の右手の方から来ました。 この後も裏道を使って「濃尾大橋」、無事に「尾西庁舎」に帰着いたしました。 本日の走行距離:約52.5kmでした。 |
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