#240:「北陸本線旧線跡+敦賀観光ポタ!」(10/06/20)


今年は空梅雨との前評判でしたが、どうも真面目に梅雨空してますね。
仕方が無いのでクルマで「今庄」方面に散策しまして、帰宅後「北陸本線」の旧線を
「国土地理院」の「国土変遷 空中写真アーカイブ」で眺めていて・・・。

「敦賀」を出た「北陸本線」は長い「北陸トンネル」に入るのですが、
現在の道路が旧線跡でしっかり残っているのが解り、走ってみたくて♪

日曜日と言うのに、出掛けて来ました。久しぶりの『鉄風味』ポタです。(笑)


「ニュー サンピア敦賀」からスタート!

かつての「厚生年金健康福祉センター ウェルサンピア敦賀」が民間譲渡され「ニューサンピア」に。
道路にある案内板は「ウェル」の部分を消して再利用かな・・・。


まずは「北陸本線 敦賀駅」へ。

「北陸本線 旧線」をたどるポタのスタートとして「敦賀駅」へ。
北陸の玄関口として、

右の写真は御存知「銀河鉄道999」のメインキャラのモニュメント。
駅を背にして商店街の道路の右側が「999」左側が「宇宙戦艦ヤマト」のモニュメント。
「敦賀」と「松本零士」氏とが、何か関係が有るのかと思いましたが、そうでは無いそうで、
かつて「東京〜パリ」を結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走っており、
「敦賀」が「鉄道と港の町」と言う意味合いで、氏の作品を使ったのだそうです。
(どんなのが有るのかは、「敦賀商工会議所」のH/Pに有りますので興味の有る方はどうぞ!)


広い「敦賀駅」の構内を覗いてみました。

「国土交通省」の「カラー空中写真」や「国土地理院」の「国土変遷 空中写真アーカイブ」を見ると、
転写台や扇形庫が写ってましたので、痕跡が無いかと覗いてみたのですが・・・。
(記憶とは曖昧な物で・・・転写台は右の写真の点検工場(?)の向こう側でした 笑)。

広い構内の一部は、住宅地として分譲されてました。(右の写真のブロック塀の外側が住宅)。


「北陸本線 旧線」を目指して進んで行きます。

駅を出て「国道8号線」までに「敦賀港」に向かう貨物線が有ります。
以前来た時は現役でしたが、今は使われて無いみたい。(写真:左)

「国道8号線」を越えて「北陸自動車道」のガードの手前辺りが旧線と現在線の分岐。(写真:右)


歩道となった「樫曲トンネル」です。

「国土変遷アーカイブ」の写真を見ると、ここと次のトンネルが旧線の物と解ってましたが、
歩道化されて残っているとは思ってもいませんでした。
写真では、ツタが絡んで良く解りませんが、蒸気機関車からの煤煙で黒くなってます。

右の写真は「敦賀」方面を振り返ったもの。
鉄道跡とおぼしき、緩いカーブを描いてました。


すぐに次の「獺河内トンネル」ですが・・・。

こちらは「国道476号線」の「木の芽峠トンネル」開通に伴う道路改修により、拡幅されてました。

すぐ横に拡幅前の国道部分が廃道として残ってます。(右の写真「敦賀」方向に向いてトンネルの左側)
南側の山の斜面改良工事の資材とおぼしき物の置き場となってますので、通行は不可ですが。


「獺河内トンネル」の先は、緩い上り坂で・・・。

左の法面は「北陸自動車道」の物で、現国道、そして右の写真の様に、国道の一段下に砂利道が有ります。
旧線跡は「北陸自動車道」だそうで、部分的に改修前の旧国道が残っていたりします。

今回は通りませんでしたが、砂利道を走ってみると何か見つかるかもしれませんね♪


「新保駅」跡の記念碑。

達筆過ぎて、すぐには分かりませんでしたが、「新保駅」跡です。
右の写真の部分に、往時の駅構内の様子が描かれており、スイッチバックを持つ様子が分かります。

元々は駅ではなく「東郷信号所」が地元要望で駅に昇格したのだそうですが、
「新保」はもう少し先の地名で、ここの地名は「獺河内(うそごうち)」なんです。


「獺河内(うそごうち)」の集落を走ってみます。

ユルユルとした坂沿いに、集落が固まっています。
この道をずっと進んだ先の「木の芽峠」を越えるルートが、律令時代から近世の「北陸道」だそうです。

集落を抜けた理由の一つが、旧線跡を利用した国道が「木の芽川」を渡る部分に、
何か痕跡が無いかでしたが・・・拡幅改修工事の為に、何も有りませんでした。

この先の「葉原」集落までは、「北陸道」を進んでみます。


「葉原」集落への道にて。

「北陸自動車道」を潜って、もう一度潜るまでの区間は、高速道建設で付け替えられた区間です。
左の写真が、本来の「北陸道」に戻った所から「葉原」集落を眺めたもの。
田んぼの中の、ゆるゆるとした登りを、ゆっくり登って行って・・・蒸し暑くて汗が出て来ます。

右の写真は、「北陸トンネル」の「葉原斜坑入り口」。
長い「北陸トンネル」を短工期で完成させる為、途中、2カ所からも掘ったそうです。
そして、その工事の関係者で「葉原」の集落も賑わったそうです。


「北陸本線 旧線」の道は?

廃線跡を走る旅が、旧街道ポタになってない?
と思われてるでしょうね(笑)。

でも、こちらを走る目的は、旧線の姿を眺めたい
のも有るんです。
写真に薄くラインを入れてみました。

かつては、そこを蒸気機関車が煙を揚げて、
進んで行った・・・と暫し妄想して(笑)。


「葉原小学校」です(廃校ですが)。

平成18年3月31日に閉校なので、ごく最近廃校になったみたいです。
校庭の隅に、校門の支柱が移設され、記念碑が建てられてました。

綺麗な校舎は、今は地域活動の拠点になっているみたいです。


「葉原」の集落を抜けて・・・旧線跡を望む景色です。

国道改修によって出来たコンクリートの大きな橋の向こうが旧線跡。(写真:左)
その先は、しっかり築堤が残っていて、その上に道が出来てます♪(写真:右)

では、旧線跡に行ってみましょう。


旧線跡沿いにある「日吉神社」です。

先ほどの写真のコンクリートの橋の向こうに有る神社です。
自転車を停めてある辺りが、旧線跡の路盤では、と思われます。

そろそろ良い時間なので、お昼ご飯にしましょう。


今回も、定番となった「珈琲ランチ」です。

ですが、今回からバージョンアップ!
ヘルメット手前、銀色の筒(赤矢印)に注目♪

「ポーレックス」のミル導入なんです。
これで、挽き立て豆でドリップ珈琲行けます!
重量も軽く、値段も安く、なかなか優れもの。

しかし、雲行きが怪しくなって来たので、
手早くランチを済ませました。
(「敦賀」に戻る頃には、降られるかも・・・)


「北陸本線 旧線」跡の道です。

田んぼの中を、鉄道らしい大きなカーブを描いて、緩やかに登って行ってます。
右の写真、「北陸自動車道」と寄り添います。

旧線跡は「北陸自動車道」に追いやられたのではと思いましたが、「国土変遷アーカイブ」の
空中写真で見ると、そうでも無いみたいです。


「葉原隧道」・・・元鉄道トンネルです。

鉄道トンネルなので、中でクルマの行き違いは出来ませんから、入り口に信号が設置されてます。
ここを進んで行くと「若狭湾」の眺望の良い「杉津駅」跡付近から「山中トンネル」で「今庄」へ。
ずっと旧線跡の道が、県道として残ってます。

ですが、このトンネル、地図で見ると約1km有ります。で、信号の間隔が、約5分。
中を覗いて見ると、入り口からしばらくは下ってますが、路面はビショ濡れで・・・。

1kmを5分=1分/200m=12km/h(計算、合ってますよね?(^^;)
濡れた路面を気にせず走ったとしても、中で登りにでもなっていようものなら・・・。

「杉津駅」跡付近からの眺望は魅力でしたが、自粛しました(笑)。
雨も心配なので「敦賀」に戻って行きます。


田んぼの中の道を、ゆっくりと。

田植えが終わったばかりの、田んぼの中の道です。
「国土変遷アーカイブ」の写真を見ても、ほぼ同じ様に写ってましたから、昔からの道の様です。


旧線のガードをそのまま利用した橋。

先ほど、ランチした神社のすぐ横です。
上を通った際には、『橋だな』程度にしか
思いませんでしたが、旧線の橋です。

道路幅に拡幅してありますが、ガーター橋
(って言うのだと思いますが)は、そのまま。

この後は、旧線跡の国道を下って行きます。


「北陸本線 旧線」跡の道を快適に♪

鉄道跡の道ですから、それ程の勾配は無いはずですが・・・漕がなくても25km/hは出ます。
路盤当時に比べて、それほど勾配を改修されて無いと思いますので、それくらい急だったのでしょう。

右の写真は、「樫曲」集落まで下って来て、「深山信号場」が有った辺りを見たもの。
「深山寺」集落を通っている、写真を撮ったこの道が「北陸道」だったみたい。

予想していた雨は、途中、ほんの少しパラッとしただけで、なんとかもちそう。
時間もあるので、この先、貨物線跡から「敦賀港」などを散策してみる事にします。


「敦賀駅」からの貨物線・・・そして「敦賀港駅」。

レールが赤錆てますね。踏切も埋められてて、遮断機は外されて横たわってます。

線路をたどって行くと「敦賀港駅」(もう駅跡なのかな?)。

広い構内の現状は、コンテナヤードに。今は「オフレールステーション」と言うそうです。

駅構内で怪しいトンネルを発見!
全然怪しく無くて・・・「金ヶ崎」の反対側に有るセメント工場への引き込み線の物だそうです。

「敦賀港駅 ランプ小屋」です。

駅舎の北側、「金ヶ崎」への入り口、「金前寺」前の駐車場横に有ります。
説明板に有る通り、列車の後部照明にランプ(カンテラ)を使っていた当時、
燃料の石油の保管に使われていたそうです。


「赤レンガ倉庫」です。

説明は、右の写真を見て下さい(笑)。06年に来た時に比べ、綺麗に整備されてます。

特に、建物の西側部分が公園化されてて、写真には無いですがベンチも設置されてました。

説明板の写真の様に、夜間にライトアップされたら、良い雰囲気でしょうね♪


「敦賀港」のボードウォークと「旧 敦賀港駅舎」

天気が良ければ、良い写真になるんですが、暗雲が垂れ込めてます。
でも、予想に反して降り出して無いのが救いでしょうね。

「旧敦賀港駅舎」は「つるがきらめきみなと博21」のシンボルの一つとして建てられた物だそうです。
シベリア鉄道経由で「パリ」まで行けた「欧亜国際連絡列車」の発着駅として賑わった時代の、
敦賀港駅駅舎を再現した物ですが、元の場所とは全く違う場所だそうで・・・。
元の駅名が「金ヶ崎駅」だったので、現在の「敦賀港駅」付近では無かったのかな。


「気比神宮」です。

「敦賀」に来たのですから、こちらにお参りをして・・・写真の場所からと言う不敬ですが。


港町をふらふらと散策・・・「敦賀城跡」の碑や良い感じの銭湯。

「敦賀西小学校」前に「敦賀城跡」の碑が有りました。「大谷吉継」の頃は大きな城だったとか。

大通りを外れてウロウロ進んで行くと、右の写真の様な銭湯も。
今も営業されてるのかは不明。ベンガラ塗りに瓦屋根で、物語に出て来そうな感じ。


「松原公園」です。

名勝「気比の松原」です。公園内には遊歩道が有って、多くの方が散策やジョギングをされてます。
本当はダメだったかもしれませんが、自転車で砂浜の見える所へ。

本日2回目、3時の珈琲タイムです。

南風が吹いてましたが、さすが防風林。松林に遮られて、すぐにお湯も沸いて。
海を眺めながらの珈琲タイムでした。天気が良ければ、もっと最高でしたけどね♪

そうそう「気比の松原」で、お弁当を広げる時には、気を付けなくてはいけません!!!
頭上から、右の写真のヤツが狙ってるんですよ(笑)。『トンビに注意!』の看板もありました。

急に思いついての「北陸本線 旧線」をたどる旅。合わせて「北陸道」も。
記事を書いていて、まだまだ見所いっぱいみたいです。また出掛けなきゃね!

本日の走行距離:約36.2kmでした。