#177:「起宿から清洲宿まで・・・美濃路散策ポタ!」(08/02/24)


平日の春の様な暖かさと、打って変わった寒い週末。しかも、にわか雨まで。
土曜日は諦めて、預かった自転車の整備に費やしましたが、翌日曜は出掛けたい!

その思いも空しく、翌日曜の朝は・・・積雪、そして、強風・・・。
こんな日にどうやって快適に走るか?

と言う訳で、追い風に乗って、美濃路を走ってまいりました!・・・帰りは???


「美濃路」の「起宿」からスタートです。

いつもの尾西庁舎をスタートして、まずは、向かい風の中、「木曽川」方面へ。
「濃尾大橋」のたもと付近に「起宿」は有ります。

堤防下に当たる道路が「美濃路」で、走り出して少しで「起宿本陣及び問屋場跡」の碑が有ります。

その碑のすぐそばに、「一宮市尾西歴史民族資料館」が有ります。

その敷地横に有る、写真の建物が「脇本陣」です。
道路の反対側にも駐車場が有り、そこの塀に右の写真の案内板が有ります。


「祖父江」への分岐。

「一宮市尾西歴史民族資料館」から南へ。
写真の分岐に来ます。

「美濃路」は左の方向へ向かいます!


「左 駒塚道」の碑。

「尾西市民病院」の建物が見えて来た辺りで
進行方向右側に、この碑は有ります。

「駒塚道」は「尾西グリーンプラザ」辺りで
「駒塚の渡し」で「木曽川」を渡ってました。


「富田の一里塚跡」

跡と言っても、「美濃路」唯一、道の両側に塚が残っています。
最近、トイレと小公園が併設されて、休憩には持って来いですね。


「尾西市民病院」を過ぎて。

旧街道独特の緩いカーブを描いた道が
続いて行きます。

この先、「美濃路」は東に向かい、
主要地方道を渡ります。

北西の風は、強く吹き付けます。
それを背に受けて、良いペースで走ります!


「孝子佐吾平の碑」

天保年間に、吉藤村の住人、佐吾平は、暴れ馬を取り押さえようとして、
大名行列を横切ったため、無礼打ちになりました。
盲目の母親を孝行する息子と誉れの高かった佐吾平の死をいたんで、ここに祠を建てたそうです。


「萩原宿」です。

「日光川」の「萩原橋」を渡って、その先の路地を右に曲がると「萩原宿」。
町並みに入ってすぐ、左側に、「萩原宿本陣跡」の碑。その先に「問屋場跡」の碑。
その向かい辺りに、右の写真の「屋根神様」と「馬頭観音」、「地蔵様の祠」が有ります。

黒板壁に格子の、情緒有る家。

個人のお宅です。
旧街道「美濃路」に面しており、
往時の姿のまま、そんな感じです。

格子越しに、行き交う旅人の姿を、
眺めていたい、そんな気がしました。

「萩原商店街」へ。

「正瑞寺」で左に曲り、「萩原宿」の現在の
メインストリートです。

全国的に、商店街の衰退が報道されてますが、
ここ「萩原商店街」は、元気そう。

毎年、秋に行われる「全国ちんどん祭り」を
行っているからかな?

良い感じのお店も、有ります。

左の写真は「正瑞寺」隣の、大判焼きの「橋本屋」さん。
良い感じの、ハンコ屋さんが有ったり。

上左の写真は、商家だったのでしょうか?
上右は、宿屋をしていた感じがしませんか?

そして、左の写真の、ちょっと近代的な建物も。

歴史を感じさせる建物も、今の商店に並んで、
生き延びてます。

今は使われてない様ですが、銀行だか、
役場だったのか・・・。

この先、国道155号線を渡り、
「稲葉宿(現 稲沢)」へ向かいます。


「稲葉宿(現在の稲沢)」へ。

「萩原宿」から「国道155号線」を渡って、枡形で右、左、右と曲がります。
その後、緩くクネクネと曲がりながら「西尾張中央道」近くへ行きますが、
残念ながら「美濃路」は姿を消してます。(ここで、1回目のロスト・・・。)

「西尾張中央道」を「石橋南」の信号で渡って、南すぐ辺りから、写真の様に、また残っています。

「稲葉宿」の「美濃路」は、生活道路になっているので、交通量が多いので、要注意!

でも「美濃路」沿いには、ここにも歴史を感じさせる建物が残ってますね!

写真の商店の横にひっそりと・・・「右 つしま」の道しるべ。

現在、この路地の先は、突き当たって終わるので、本来は、ここでは無かったのかも。

道しるべの斜め向かいにある「宝光寺」

立派な門構えと、その奥の境内に有る、本堂、鐘突き堂。凛とした感じがしました。

良い感じの看板!

自動販売機が無ければ、昭和より前の世界。
こう言う光景が、急に現れるのも、
街道散策の楽しみです。

下の2枚は、
「稲葉宿」の「問屋場」跡と、その碑。
「尾張濃林水産事務所」の前で、「美濃路」は南に折れて行きます。

写真の奥に続く道沿い、「尾張濃林水産事務所」の植え込みの中に「本陣」跡の碑があります。
(これ、分かりにくくて、行ったり来たりしました。(笑))

「稲葉一里塚」跡。

現在は、何にも、有りません。・・・ただ、この立て札が、有るだけ。(笑)
この辺りが、「稲葉宿」の東の外れだったようです。

「国府宮神社 一の鳥居」

旧街道の様相の無い道を進んで、「名鉄本線」の踏切のそばに、有ります。
鳥居の奥に見える太鼓橋は、主要地方道を越える物。

この後、本日2回目のロスト・・・めぼしい目標物が無く「美濃路」を見失いました。


「四谷追分」までも、写真の様な、
旧街道の様相の無い道となります。

交通量が多いですが、歩道が完備されてます。

旧街道の面影が無いのは、寂しいですが、
歴史を踏襲しての、表街道なのですからね。

狙い通り、強い北西の風を背に受けて、
快調に走って来てます(笑)。


「四谷追分」

「岐阜街道」との分岐。写真の左方向へ、「岐阜街道」は延びています。(イベント#173参照


「丹羽盤桓子出生地の碑」・・・尾張藩の名筆家の出生地だそうです。
ここの向かいに、南に向かって「美濃路」が続いています。

「六角堂」の有る「長光寺」

この辺りの地名が「六角堂」で、地名の由来になったのでしょうね。

「美濃路」沿いに有る道しるべは、本来、先ほどの「四谷追分」に有ったそうです。

境内に有る「六角堂」と、近くの民家に有る「浅野長勝宅跡の碑」

大きな「六角堂」、自転車の大きさと比べてみて下さい。

「秀吉」の正妻「ねね」は、「浅野長勝」の養女だったそうです。


「役所橋」と「清洲代官所跡」

「長光寺」から南へすぐの路地に「役所橋」は有ります。(ちょっと、分かりにくいですが)
由来は、その先の畑に有る、この説明板に有る様に、代官所への橋だったからだそうです。


その先で、道は二股になりますが「美濃路」は右方向。

ここに有るのが、「北市場美濃路公園」。
トイレや、屋根付きベンチが有るので、休憩に良いですよ。


「亀翁寺」と「総見院」

どちらも、往時からの寺院です。
「亀翁寺」には、南北朝時代の「木造虚空蔵菩薩座像(重要文化財)」が有ります。

「総見院」は「織田信雄」が、父「信長」の菩提を弔う為に、
「総見寺」を建て、「清洲越」で「大須」に移転下後に、現在の寺院が建てられたそうです。

この後、「JR清洲駅」辺りで「枡形」で、左、右と、道は進み、「清洲宿」となります。


「八神街道」の合流点(清洲3丁目)。

「JR東海道本線」「新幹線」の
ガードをくぐった先です。

「羽島市」の「八神」からスタートする
「八神街道」は、「祖父江」を通り、
ここで、「美濃路」に合流します。
「八神街道」も走ってみたいです。


「清洲宿本陣跡」

説明板の通り、この正門のみが「美濃路 清洲宿本陣」の名残りだそうです。


「清凉寺」・・・札の辻(高札場)跡。

「清洲宿」に時を知らせた鐘が、現在でも残っているそうです。
今回は、ゆっくりお参り出来なかったので、次回は、寄ってみたいです。

この後、「美濃路」は「五条橋」で「五条川」を渡って行きますが、今回は、ここまで。


「清洲宿」の最後に「清洲城」へ。

本来の「清洲城」は、今、城が再建された所の、橋を挟んで反対側。
「JR東海道線」、「新幹線」で分断された所だそうです。

さて、帰路に着きます・・・行きの追い風に向かって、走るのかって?


帰りは・・・輪行!

そうです、追い風に乗って走って、
帰りは、電車で楽々と〜、です(笑)。

今日の作戦は、こう言う結末なんです!

「清洲宿」から先も、近々、走る予定です。

本日の走行距離:約22.8kmでした。