#190:瀬戸内夏ポタ:vol.1「高梁〜岡山、松山往来ポタ!」(08/08/10)


今年も、夏の長期休暇を利用して、瀬戸内へ気ままな一人旅をして来ました。
題して『瀬戸内夏ポタ’08』です!

1日目:瀬戸内夏ポタ:vol.1「高梁〜岡山、松山往来ポタ!」(08/08/10)

2日目:瀬戸内夏ポタ:vol.2「小豆島シーサイド・ポタ!」(08/08/11)

3日目:瀬戸内夏ポタ:vol.3「小豆島/日生リゾート・ポタ!」(08/08/12)

以上、3編に分けて、ご紹介いたします。

まず、1日目は「JR尾張一宮駅」から「JR備中高梁駅」まで輪行。
「味屋」さんの『中華そば』を食べ、「高梁」の町を散策し「岡山」まで、
「松山往来」をトレースする感じで、ポタして来ました。


旅立ちの朝・・・「JR尾張一宮駅」にて(なんてね 笑)。

「JR東海道線」下りの始発に乗車しますが、なんと2両編成なんですよね・・・。
当然、終点「大垣」までは、通勤ラッシュ並の混雑。今年は身動き出来ただけ、良かったかな。


「大垣」で乗り換え、「米原」で「播州赤穂」行きに乗車です。

「大垣駅」での乗り換え時間は、4分・・・だから、皆さん、ダッシュ!!!
自転車を抱えた私は・・・当然、座れません。もちろん、写真を撮ってる余裕も有りません(笑)。
「米原駅」まで、自分の折り畳んだ自転車のサドル部分に座って行きます。

「米原」発の「播州赤穂」行きは、始発で、編成車両も多いので、余程の事が無い限り座れます。
ですので、先に席を確保し(ここ重要!)、自転車を固定して、後は、出発までノンビリします。


「米原駅」を出発したら・・・後は車窓からの景色を楽しんだり。

7時25分に「米原駅」を出て、今回乗り換える「相生駅」までは、3時間たっぷり有ります。
朝早かったので、居眠りしたり、車窓からの景色を楽しんだり・・・。
だから、席取りが重要になるんです! 窓側で、ゆっくり気兼ね無くしたいでしょ?(笑)


「岡山駅」にて「JR伯備線」に乗り換えです。

「相生駅」への途中の「立花〜尼崎」間の踏切で、遮断機が壊れる事故が有って、5分遅れ。
「相生駅」での乗り換え時間が3分・・・こう言う場合、JRは待っていてくれますが、
当然、またまた猛ダッシュ状態・・・座れる訳無いんだな。(笑)

その上、今年はガソリン価格高騰が響いているのか・・・。
「相生駅」で乗り換える「JR山陽本線」は、混み混み状態で、自転車に座る事も出来ず!!
やっと「岡山駅」での乗り換え時に、ゆっくり出来た訳です。

後は、景色を眺めながら、ノンビリ出来ます。写真は「高梁川」と走る予定の「国道180号線」。


お疲れ様でした・・・「JR備中高梁駅」到着!

時刻は12時37分・・・朝、6時過ぎに乗って、乗り換え待ち時間を入れて6時間強。
ま、列車の旅も好きじゃなきゃ、やってられないかな?(笑)

旧国鉄時代の雰囲気の残るホームと跨線橋。

モダンな塗装がされてますが、基本は「長良川鉄道(旧国鉄 越美南線)」の駅と同じ感じ。
今時、思いっきりバリアな跨線橋を、自転車を抱えて渡ります(笑)。

余談ですが、父の実家がここ「高梁」で、夏休みには一人で泊まりに来てました。
夜中に、付け替えをしてる蒸気機関車の短い汽笛と、連結器の音を聞いた記憶が・・・。
きっと、そんな夜中じゃないんだろうけど、子供にはね・・・懐かしい思い出です。

駅前で、一応、記念撮影・・・05年に来た時と、変わらないな(笑)

駅前の自販機で、水分補給に水を買おうとして、気が付いた。
「日本コカコーラ」が販売している「アクアセラピー ミナクア」って商品、
『大山の森が育んだ・・・』って!!!(「大山」とは「鳥取」と「岡山」の県境に有る山。)
なるほど、確かに『日本の厳選された森の恵み』・・・他にも御当地物が有るのかな?

と、またまた余談(笑)ヘリオスを輪行から解いて、さぁ、出発。


まずは、第一目的の「味屋」さんへ。

駅から「栄町」「鍛冶町」と抜けて「伊賀谷川」を渡ったら「本町」の通りへ。
「方谷橋」からの交差点(と言っても写真の通りだが)の角に目指す「味屋」さんは有ります。

頼んだのは普通のラーメン¥500円。(物価高騰のおり、値上ってました。)
味は・・・うんうん、懐かしい味。私にとっては、これが、中華そば!


お腹が満足したところで、散策開始!

まずは「味屋」さん横の細い路地を抜けて
「新町」の通りへ。
そこを北に向かい、次の路地でまた「本町」へ。

この辺り、子供の頃、良く遊びましたが、
知らなかった・・・路地に名前が有ったなんて。

まぁ、子供の頃は、興味無かったですけどね(笑)


「池上邸(高梁商家資料館)」です。

路地を「本町」通りへ抜け、北に向かうと右手に有ります。
中を見るには入場料が要るので、外から失礼。だって子供の頃は、普通のお宅だったもの(笑)。


「本町」を北に抜けると「小高下谷川」。それに沿って上がって行くと・・・。

左手に、石垣の上に白い土塀が続いてて、城か旧家の豪邸の様でしょ?
実は、ここ、「松山藩」当時の政治を行なった「尾根小屋跡」に有る「高梁高校」です。

路地を奥に進んで行くと・・・正門が有ります。

右、左と路地が折れ曲がり、抜けた所は「川端町」から上がってくる広い石段。
これが往時の正規の道なんでしょうね。

すぐ下に「JR伯備線」の踏切が有って、特急列車が抜けて行きました。

「尾根小屋」とは・・・。

すぐ横の山が「臥牛山」で、その山頂に「松山城」が有るが、山城のため、有事の際以外は、
ここ「尾根小屋」で政治や藩主の生活が行なわれたそうです。
明治時代になって、旧制中学が置かれ、その後、高校となったそうです。


再び「小高下谷川」沿いに戻って、上がって行くと・・・。

石垣に白い土塀の向こうに、近代的な校舎が見えて・・・ちょっと面白い眺めでした。
こんなキャンパスで学べるなんて、羨ましくないですか?

バス停まで上がった所で、下りて来ましたが、途中で復元絵図の看板が有りました。


武家屋敷の並ぶ「石火矢町」。

「武家屋敷館」と言う中を見学出来る所も有りますが、他は、現在もお住まいの住宅です。

この通りを抜けて行くと、寺院が並ぶ「寺町」です。


「頼久寺」です。寺と言っても、城と間違う様な造りです。

ここには「小堀遠州」初期の頃の作の、国指定名勝の庭園が有ります。
以前、入ってみた事が有りますが、ゆったり出来て良いですよ!


「伊賀谷川」横に有る「龍徳院」と「臥牛天神社」です。

「臥牛天神社」は、もともとは「松山城」の「天神の丸」に、城の鎮守として祀られていた神社。
ここに祀られた経緯は、説明板をどうぞ(笑)


こちらも、城の様な石垣の上に有る「巨福寺」。

町の中央に町家を置き、東北西を武家屋敷で囲み、その東の山麓に、このような寺院を配置して、
西には「高梁川」が有って、城下町の防備としては堅固な物だったでしょうね。

ここには「高梁ユースホステル」が有ります。一度、泊まってみたいなぁ・・・。


「紺屋川」に沿って下って・・・「高梁キリスト教会」です。

明治22年(1889)年に建てられた、岡山県内最古の教会堂です。
「同志社」を創立した「新島嚢」が伝導の為に、訪れたりしたそうです。


藩校「有終館」跡(現 高梁幼稚園)です。

「高梁キリスト教会」の川を挟んだ斜め向かいに有ります。
建物は現存していませんが、幕末「老中」にまでなった7代藩主「板倉勝静」が登用した、
農商出身の陽明学者の「山田方谷」が植えたとされる松の木が残っています。


「紺屋川」と「本町」「下町」の橋。

駆け足で回った「高梁」散策、いかがだったでしょうか?
古い風情有る町並み、山の上の城跡・・・そう、「郡上八幡」に良く似たロケーションでしょ?
機会が有れば、是非、訪れてみて下さいね!

そろそろ切り上げて「岡山」へ向かって「松山往来」をトレースしながら走ります。
「松山往来」とは「旧山陽道」から「板倉宿」で別れ「備中松山宿」までの街道なんです。


「高梁」の町外れから「臥牛山」と町に別れをして・・・「国道180号線」を「岡山」へ。

「高梁川」に沿って走るんですが、写真では川風が涼しそうでしょ?
でも、実際は・・・アスファルトの照り返しと、車の熱気で暑いです!


「備中広瀬」の町です。

「国道180号線」から別れて、裏道を行きますが、あまり「街道」っぽい感じは、無いですね。


「松山往来」は「国道180号線」と、ほぼ重なります。

「吉備高原」を流れる「高梁川」に沿った地形の為、山が迫った部分には古い道は残ってません。
時折有る裏道を辿って行けば・・・そこが「松山往来」かもしれません(笑)。


「日羽」にて「松山往来」の痕跡を発見!

左が見つけた常夜灯。右の昔の資料写真と比べて、自然石そのままの屋根、
板状になった部分、まず、間違い無く同じ物かと。

藩校「有終館」の所で書いた「山田方谷」が勧進した物だと、本には記載されてます。
しかし・・・良く残っていたものだな。

昔の写真の出所は・・・。

「岡山文庫」の中の「岡山の街道」と言う本の「松山往来」のページからです。
中学時代、図書館に有った本で、載っている写真の場所を探しに、自転車で走ってました。
でも、当時は見つけられなかったから、○十年ぶりに、見つけられた・・・です。

今から思えば、その頃が、今の私のポタの始まりなのでしょうね・・・進化して無い(笑)


「宍粟(しさわ)」の町にて。

「国道180号線」から、往時の道と思われる裏道へ。ここにも城郭に似た寺院が有りました。
しかし「宍粟」難しい読み方でしょ? だからなのか、「JR伯備線」の駅名は「豪渓」。

「豪渓駅」と、観光案内板(一部のみ、ね)。

「豪渓」とは、ここより北に「槙谷川」沿いに遡った所にある、奇岩絶壁の景勝地の名称です。
「松山往来」は、この案内板に有る「秋葉山」を辿るルートが本当なのかもしれませんが、
自然歩道の様な、山越えルートなので、「湛井堰」まで「国道」を進みます。(笑)


「十二ヵ郷用水」の起点である「湛井堰」。

なんと平安末期の1182年頃に、「妹尾(岡山市南部)」の豪族「妹尾兼康」によって、
整備されたとされていて、現在も「総社市」や「岡山市」へと灌漑用の水が、送られています。


「総社」の町中にて・・・「松山往来」を示す碑。

「湛井」で別れた「国道180号線」に再び交差する形で越して、旧街道を進みます。
緩やかに鉤の手に曲がる辺りの民家の辻に、この碑を見つけました。

その先も、ずっと続いて行く様なので、そのまま進んで行きます。

多くの家が、新しく建て直されてますが、それでも、ちらほらと昔の雰囲気を残している所も。

「まちかど郷土館」です。

旧街道沿いに有りました。場所は「総社宮」の南。
昔の「総社警察署」の建物だそうで、明治43年建設の「総社」に唯一現存する明治洋風建築物。
表に立っている郵便ポストは、外観の雰囲気に合うように、現在も使用しているそうです。

私は、この建物の右手奥に有る、蔵の様な門の様な建物も気になりました。(写真:右)
「総社」には「備中売薬」と言う薬売りが有ったので、案外、その卸元の豪商だったりしてね。


「岡山市」に入って・・・「矢喰神社」

「岡山」にも「桃太郎」の民話が有りますが、その元になったとされるのが
「吉備津彦命」の「温羅退治伝説」です。

「総社市」の鬼の城山にある鬼ノ城の「温羅」との戦いの際、「吉備津彦命」の放った矢と、
「温羅」の投げた岩が、ぶつかって落ちたのが、ここら辺りと言う起源の神社です。

傍若無人な「温羅」を大和朝廷の配した「吉備津彦命」が退治すると言う話ですが、
「たたら製鉄」技術を持ち、力を付けた吉備勢力を、朝廷が謀殺したと言う解釈も有るそうです。


「旧山陽道」と「松山往来」の分岐の「板倉宿」。

「国道180号線」の「板倉交差点」、ここから東西に延びる道が「旧山陽道」です。
左の写真の案内板が有ったり、右の写真の宿場を示す碑が有ったりしますが、
町並み自体に往時の雰囲気を残す物は有りませんでした。

この後、実家の有る「岡山市内」まで走って、瀬戸内夏ポタの1日目は終わりました。

本日の走行距離:約55.3kmでした。(列車所要時間:約6時間30分)

<2日目:瀬戸内夏ポタ:vol.2「小豆島シーサイド・ポタ!」(08/08/11)へ続く>