#246:'10夏旅:「新見 〜 高梁 探訪記!」(10/08/08)


夏旅2日目です。今日は「新見 〜 高梁 探訪記!」

昨年、台風の影響で不完全燃焼となった夏旅、今年は好天に恵まれて楽しんでまいりました。
今年は、日程を長くし、瀬戸内だけで無く「岡山県北」の町並みも訪ねて来ました。

日程は・・・

1日目:'10夏旅:「津山 〜 新見 探訪記!」(10/08/07)

2日目:'10夏旅:「新見 〜 高梁 探訪記!」(10/08/08)

3日目:'10夏旅:「小豆島 池田 〜 土庄 探訪記!」(10/08/09)

4日目:'10夏旅:「小豆島/土庄 〜 赤穂 探訪記!」(10/08/10)

5日目:'10夏旅:「赤穂界隈 探訪記!」(10/08/11)

では、2日目、「新見 〜 高梁」間を鉄道廃線跡を絡めた旅を、御紹介いたします。


明けて2日目、宿泊したホテルをスタートして。

左の写真が、宿泊した「新見ビジネスシティーホテル」で、1泊素泊まり¥5,000円の部屋に宿泊。
選んだ理由は、値段もですが『コインランドリー』が有る事!
そう、着替えを最小限にしているので、洗濯が出来る事が必須なんですよ(笑)。

朝、7時過ぎにチェックアウト。輪行状態にした自転車を、走行状態にして。
右の写真は、町の中心部を流れる「高梁川」の様子。ここにも「高瀬舟」が着いていたのでしょうね。

ちょっと雲が多いですが、天気に不安は無し。それでは、まずは朝食の取れそうな場所を探して♪


「お茶屋橋」にて。

昨日は、橋の向こう、左手から来ました。で、今日は、橋を渡って右手に向かって行きます。

橋の上から右手を眺めると、昨日の走行で横を流れていた「熊谷川」と「高梁川」の合流点。
綺麗に護岸整備がされてしまっていて、昔の風情は無いですが、防災上仕方の無い事ですね。


「本町商店街」です。

ちょっと懐かしい感じの商店街ですね。でも、やっぱり、閉店してる店が多いかな・・・.

商店街の真ん中辺りで、道がクランクしているのは『枡形』なんでしょう。
と言うのは、先程の「お茶屋橋」以西は「昭和町」と言う名称で、その頃に開発された町で、
お城山が、この商店街のすぐ北に位置して、ここが昔からの城下町だったからでしょう。


「本町」を南へ。

商店街から続く、タイル舗装に沿って。
所々に、往時の雰囲気を残す家が有りますが、多くは新しく建て直されてます。

右の写真は「御殿町センター」。この辺りを「御殿町」と呼ぶので、この名称とか。
「本町」「新町」の名称より、もっと古い時代の名称の名残なんでしょうね。


本町の通り沿いから奥に続く「カツマル醤油醸造」さん。

地方地方の地酒の話題は良く聞きますが、こちらの様な醤油の醸造場も多くあるんですよ。
どんな風味の、どんな味がするのか、非常に興味あるんですが、利き醤油ってのは、無いですよね。


「カツマル醤油醸造」さんの通りを、川まで出てみました。

川沿いの大きな看板の所まで、醸造してる工場みたいです。

で、記事の冒頭にも少し書きましたが、現代の様な交通になる前は「高梁川」の水利を生かした、
河川交通が発達していました。浅い水深でも運用出来る「高瀬舟」に荷を乗せて、行き来したんですね。


良さそうな場所で朝食です!

「まなび広場にいみ」です。正式名称が「新見文化交流館・生涯学習センター(まなび広場にいみ)」。
凄く大きな施設です。写真の川沿いからのアクセスが、正面になるみたい。

その前の、川に降りる広い階段が、気持ち良さそうだったので、朝食の場所に。(写真:右)


長い旅でも、こいつらは標準装備で♪

どこでも景色の良い場所で、美味い珈琲を入れられる様に、携帯して来てます。
お湯を沸かして、ミルで豆を挽き、ドリップして、地元で手に入れた食材と楽しむのです。

ただ、今回はソロなので、いつもの「スノーピーク」のドリッパーでは無く、
右の写真の「カリタ」の「ハンディドリッパー」にしています。

樹脂で出来た簡単に畳めるドリッパーなので重量が軽く、旅の着替え等で重量増なので、助かります。
写真の様に「スノーピーク」の「ソロセット・チタン」のカップ部に、ピッタリ!


「新見」の町を後にして・・・ここで、この地方の特色をちょっと♪

緑の山々に、山肌がむき出しになっている部分が有ります。
左側の写真、採掘した結果では無いのです。天然の岩盤が出ているのです。右の写真のは、採掘跡ですが。

この地方の地質は、良質な石灰石なんです。その岩盤の上に、町が有ると言っても良いのではないかな。

ちょっと、近づいてみます。

川沿いの農道に出れば、よく見えるだろうと、近づいて。
たたずまいの良い神社が有ったので、旅の安全を祈願しておきます。

右の写真が、岩盤の様子の良く解る写真では、と思います。岩盤に木が生えている、と言った具合です。


「JR伯備線」の「石蟹駅」です。

日本三大難読駅名だとか。「いしかに」と書いて「いしが」と読みます。
町の大きさ、駅の規模にしては、長大なホームなのは、石灰石を満載した長い貨物列車の為なのかな。


「石蟹」の町を出て、道は現国道と旧道に分岐します。

ここは、やっぱり旧道の方に向かいます。なぜって、何か面白い物が有るかもしれないでしょ?

でも、ここは、ゆるゆると曲がる旧道然とした集落が有るだけでしたが(笑)
道なりに進むと、右の写真の国道に再び出ます。

が、きっと明治時代以前は、地形的に、川沿いに出ないで、山を越えていたんじゃないかな。


前方に赤い鉄橋の様なのが見えて来ました。

確か『ガーター橋』って言ったと思います。鉄道の橋です。
が、鉄道にしては、頑丈な欄干の様なのが付いてるでしょ?

実は、これ、「伯備線」の線形改良(速度向上等の為に、ルートを改良する事)の名残りなんです。
そして、今は「遊歩道」として使われているのです♪(右の写真は、潜って来た、現在のルート)。

では、早速、廃線跡遊歩道へ向かいます♪

赤い鉄橋の手前に、案内板が有りますので、見落とさない様に、指示された方向へ。
現在線の下を潜る部分まで来たら『遊歩道』の明示の方向へ。(写真:左)

緩い坂を上がって行くと、右の写真の場所に出ます。(写真は、来た方向を振り返ってます)
カーブミラーと道に挟まれた島みたいな間から上がって来てます。

その島みたいなのの右側、緩くカーブしながら続いているのが、廃線跡遊歩道です。


『鉄道廃線跡を走る♪』です。

スタートしてすぐ、マニアには嬉しい物が有ります。
信号機と電気ボックス。(右の写真は、通り過ぎて振り返っての物)

道は鉄道独特の緩くカーブを描いていて、路面も良く気持ち良く走れます。

カーブを抜けると、先程見えていた鉄橋部分に。

転落防止のフェンス欄干が無ければ、鉄道鉄橋そのもの(当たり前だけどね)。
鉄橋の上は、川風が吹いてて、気持ち良かったです。

鉄橋を渡ると、木立の中の石積み壁沿いに進んで行きます。

木立の中に続く、緩いカーブの廃線跡を進んで。

またまた鉄道の痕跡を残す物が有りました。速度表示板です。(カーソルを重ねると大きくなります)
廃線になって約30年ですが、この様に残してあるのは、良いですね!

トンネルを抜けた現在線と交差する部分は、遊歩道がアンダーパスとなってます。(写真:右)
往時の路盤は、右手の薮の部分だそうで、現在線の向こう側の薮には、キロポストを示す遺物が有るとか。

真っ赤な吊り橋♪

廃線跡遊歩道とは、関係ありませんが、アンダーパスを抜けて、目の前に飛び込んで来ました!
もちろん、ここは寄っておかなくちゃ!と言う事で、橋上へ。

しっかりしてますが、結構、揺れます(笑)。ここからだと、旧線の様子が、よく見えます。

旧線の様子の遠望。

左の写真の、現在線の鉄橋の付け根がアンダーパス。そこから水平に右手方向へ。
右の写真の赤線部分、「高梁川」に沿って。

この廃線跡遊歩道のハイライト部分です!

「足見陸橋」と言い、山の窪地に沿って、橋脚が建てられています。
右の写真で、その橋脚が見えると思います。対岸から見ると、壮大さが良く解るのですが・・・。

再び、木立の中へ。

「足見陸橋」を渡って、緩くカーブしながら木立の中へ。そこには、また、信号機と電気ボックスが。

そこを過ぎ、苔むした石積み部分まで来ると、前方が明るくなって・・・もうすぐ、遊歩道の終わりです。

ゴルフの練習場の前で、遊歩道はおしまい。

底から先は、生活道路になっていて、左の写真の自転車を停めている辺りが、路盤跡と思われます。
ここから先は、個人の敷地の様なので、そのまま抜けて行けません。

右の写真が、道路を迂回して、現在線と合流する部分へ。
現在線は、河川増水時の対策からか、築堤がなされ高くなってます。

これで「廃線跡遊歩道」の探訪は終わり、次は、個人的な郷愁の地へ。


「足見小学校」への道。

現在線との合流地点から、山上に上がって行く道が有ります。この道の先に「足見小学校」が有ります。

私が小学生だった時の担任の先生(男の先生ね)の初任地が、この小学校だったそうです。
夏休みに担任の先生の発案で、クラスの何人かと訪ねた事が有るんです。

「井倉駅」まで「伯備線」で行き、そこから山道をみんなでテクテクと山上の小学校まで。
歩いて上がるのもキツかった覚えが有りますが、山上の学校は、吹く風が涼やかで、空が近い感じで。
子供ながら木造の校舎が妙に親しみを感じさせて・・・そんな記憶の地なんです。

あれから○十年ぶりに、その高原っぽい感覚と郷愁の校舎を見てみたくて。
写真の様なキツい坂ですが、登って行きました。

右の写真、上から見下ろす「井倉」の町。記憶では、セメント会社の専用橋を渡らせてもらったので、
今上がってるルートとは違うと思いますが、自転車では無理な山道なので、このルートです。


空へ向かう様な道を、ゆっくりゆっくり(^^;

徐々に、体に受ける風に、涼しさを感じましたが、左の写真の様な道が、何度も続いて汗だくに(笑)。
もう終わるかな、と思ってカーブを抜けると、また上に続く道が現れて・・・(^^;

右の写真は、「足見」の各集落(西組とか上中とか)へ分岐する部分。
目的の「足見小学校」は左上に上がった先に有ります。

「自然とふれあいの里足見」の案内図前にて、休憩。

やっと目的地近くまで来てますが、地図無し行動なので、この案内板で確認を兼ねて休憩。
もっとも、確認の目的が無くとも、喉は乾くし、汗が目に垂れて痛いし(^^;

さて、一息付いたら、後一踏ん張り登りましょ。


「足見小学校」に到着です。

が、『う〜ん、近代的な学校になってる』 でも当たり前の事で、いつまでも古い校舎のままな訳が無い。
校舎のそばに有る竣工記念碑を見ると、平成14年に完成した様です。(カーソルを置くと見れます)

まぁ思い出は、心の中にだけ生き続ければ良いのですよね。

右の写真の木と「緯度」を明示した柱は、見覚えが有る様な。

しばらく、校庭の近くの日陰で、休憩させていただきました。(山上の珈琲は、最高でした!)
体を撫でて行く風は涼やかで、見上げる空の近さは、昔のままでした♪

せっかく山上に来たので、少し散策してみます。

左の写真の様に、多少の起伏の台地状になってます。写真の畑では「ぶどう」が栽培されてました。

この台地は、上質な石灰石の台地で、右の写真の様に石灰石が、そこら中に露呈しています。
後で訪れますが、この台地の地下には「鍾乳洞」が有るんです。(カーソルでアップ画像に)


急な坂道を一気に下って・・・「高梁川」沿いの旅を続けます♪

国道を進んで行くと「井倉洞」への分岐に。トンネルで無い方が、旧国道になります。

旧国道の方へ進むと「井倉洞」で、曲がって行くと「伯備線」の大鉄橋が目の前に。


「伯備線 井倉駅」の前を通って、ずっと奥に。

「井倉洞」の駐車場の中を抜けて川沿いに出ると、洞窟状になった部分に、お不動様が祀られていて。
きっと、この洞窟も鍾乳洞に加工を施した物なんじゃないかな。


旅館やお土産物屋の前を抜けて。

先程のお不動様前辺りから、観光客の方も多いので、自転車は押しています。
左の写真の様に、目前に石灰岩の巨大な壁の景色が広がっています。

右の写真の緑の陸橋を渡った先に、鍾乳洞の「井倉洞」の入り口が有ります。
が、まだ先の行程が有るので、記念撮影だけさせていただいて♪
(以前、家族で来てますが、大きな鍾乳洞で、その当時の記憶では、鍾乳石も綺麗でした!)

再び、国道へ向かいます。

左の写真、石灰岩の山様が良く解ってもらえるのでは。この辺り「井倉峡」と呼ばれます。

最後の旅館の前を抜けると「伯備線」の鉄橋が見えて来ますので、手前の橋を渡ります。
(ここの写真2枚共に、橋の上から撮影してます。)


国道に出て「高梁川」沿いに淡々と。

左の写真では、路肩が広いですが、部分的に路肩の無い部分も有ります。
また、割と大型車(トラック、ダンプ)の通行も多いので、気を付けて走らせます。

しばらく進んで「ロックシェッド」を抜けると、小さな駐車場の様になった部分があって、
そこが右の写真の「絹掛けの滝」です。


「広口橋」の所には、旧道の橋が残ってました。

旧道の橋の上に行ってみると、川の中に構築物の残骸が有り、川岸には橋台の様な物も。
古い国道に良く見られる様な石組みなので、旧々道の橋の残骸でしょうか?

気になりますが、記事を書きながら探してみましたけど、資料が見つかりませんでした。


それより、もっと興味深い物も♪

いきなり廃道雰囲気いっぱいですが、ここ旧国道なんです。現国道は右上に見えるガードレール部分。
行けるかと思って進んでみましたが「伯備線」の線路に出ておしまい。

しかし、何故にこんな道に降りているかと言うと・・・

上の現国道を走っていて、これが見えたからなんです♪

左の写真の矢印、橋の基礎みたいです。ここに掛かっていたのは、道の橋なのか?
その疑問の解決の為に、降りて行ったのも有るんです♪

記事を書きながら「国土変遷アーカイブ」の航空写真を見て、正体が分かりました!
右の写真は「国土変遷アーカイブ」の1947年と1975年の比較です。

これを見ると、あの橋の基礎みたいな物は、「伯備線」の鉄橋跡です。
「室戸台風」で、ここに掛かっていた鉄橋が流され、現在のルートに掛け直されたそうです。


国道を進んで行くと、ガードレールの外に親柱が。

「中井橋」と掘られた橋の親柱です。が、真正面の部分には、家が有るみたいで、
対岸に掛かっていた様子が見られないんです。

それに、上下流を見渡しても、掛け直された橋が見当たらないですし・・・何だろう???


「伯備線 方谷駅」です。

困窮していた「備中松山藩」の財政を立て直した「山田方谷」の名が冠された駅です。

「伯備線」開通の際、「方谷」の名前を残したいとした地元が、人名は駅名に受けられないと言う
鉄道省に対して『方谷は、西方(地名)の谷と言う意味だ』として、当時、唯一付けられた人名駅名。
(当時、唯一と説明板に書いてあるが、今は他に有るのでしょうか?)

説明板にも有るのですが、ここ「方谷」駅は「山田方谷」の「長瀬塾」が有った所。

元々は、駅構内に「長瀬塾」の石碑が有ったのですが、鉄道敷設の際に、今の場所に移されたそうです。
(左の写真にカーソルを置くと、石碑の拡大写真になります。)

ホームで石碑を撮影していると「新見行き」の列車が来ました。


夏景色の川沿いを♪

日差しは強いですが、川風が心地良かったです。写真の景色が旅心を盛り上げてくれますし♪


「川面」の集落へ。

国道は集落をバイパスして行きますが、
旧道は左手の「高梁川」を渡る方向に。

写真の様な道幅でも、国道だったんですね。
前方に「田井橋」が見えて来ました。

実は「田井橋」の向こう側が、のり面崩落で、
通行止めだったのですが・・・。

「田井橋」付近です。

「高梁川」の流れはゆったりとして、水面に山の木々が映り込んでます。

で、気になったのが川沿いに見える道。渡りきってちょっと入ってみました。(写真:右)
山肌(岩肌です)を削り取って、しっかりとした造りに見えます。旧国道以前の街道だったかも♪

のり面崩壊の通行止め部分は・・・崩れているのは5m程でしたので、自己責任で(^^;


「備中川面駅」です。

写真の通りの新しい地方駅です。無人駅で、駅前の商店に一部業務委託されてるそうです。
あまり面白みが無いですが、こう言う駅がどんどん増えて行くのでしょうね。


旧道の方が、優しいんですよね♪

左の写真が現国道の写真。ロックシェッドが並び、防災面ではバッチリなんですが・・・走りにくい。

それに比べ、右の写真の旧道は、交通量も少なく平坦で♪

それに、こんな景色に出会えたり。

一里塚では無いですが、大きな桜の木の木陰が有りました。
川を望む景色は、夏度満点で♪交通量が少ないので、写真撮影も存分に行えます!


「木野山」の集落です。

旧国道を進んで来てます。昔は、交通量が激しかったのですが、今は、閑散として・・・。
でも、自転車だと走りやすくて、助かります。

「木野山駅」も、現代的な駅になってました。


見覚えの有る橋に到着。

昨年「吉備高原」へ登った際にも通りました。「有漢川」の橋です。
昨年は、まったく気がつきませんでしたが、国道との分岐に道標が有りました。(カーソルで拡大します)
さて、ここまで来れば「高梁」の町は、もうすぐです。


「高梁 本町」の「味屋」さんです♪

こちらの『中華そば』、子供の頃からの馴染みです。私にとっての『中華そば』は、これです♪
毎年、夏の旅くらいにしか食べれませんが、今年も味わって来ました!

さて、本日の行程は「新見〜高梁」なので、完了では有りますが、まだ時間に余裕があります。
そこで、ちょっと寄り道をして来ます。


「方谷橋」に向かって・・・そして♪

ここ「高梁」は両親の実家が有るので、この「方谷橋」の近くの「高梁川」が、私の遊び場でした。
夏休みになると、泊まりに来て、「高梁川」で良く泳いで遊びました。

今は国道の拡幅工事で、左岸側を埋め立て、右岸側を削ってしまったので面影が無くなってます。
かつては、ここ「高梁」も「高瀬舟」による水運の名残りの川岸だったんですけどね。

さて、これから向かうのは、もう1カ所、夏休みに遊んだ所「松原町」です。
右の写真の様に、山の上に登って行かなくては行けないのですが・・・(^^;


道が新しくなってました・・・久しぶりなので、分かるかな(^^;

通っている場所は、昔と変わらないのでしょうが、道が綺麗になっていて、どうも感が働かない。
しかし、この斜度は・・・MTBじゃなきゃ、行ってみようと言う気にもならなかったんですけどね。

キツい登りが続いて行きます・・・(^^;

「足見」への登りもキツかったけど、こっちの方がキツい!・・・速度は、時速5km/h以下!
左の写真にカーソルを置くと証拠写真が・・・押して歩いた方が、速いですね!!(笑)

で、極めつけは右の写真の場所で・・・何でしょう、この高低差!
ここ下って来ると怖いですよ〜。進入からクリップまで逆バンクですもの(^^;


さらに登って行くと・・・。

見た事の無いものが・・・「唐傘堂」と言うそうです。2体のお地蔵様が安置されてます。

右の写真が、登って来た峠の頂上部。峠の名前は「真似男ヶ峠」。どんな由来なんだろ?


「朝霧温泉」への分岐です。

「朝霧温泉 ゆ・ら・ら」は、昔「きびの郷ワンダーランド」と言ったレジャー施設でした。
大型遊具も有ったそうですが、1996年に閉鎖。その後、今は、県と市の整備事業による温泉施設に。
しかし、現在、施設の老朽化により休館中とか。

右の写真の左側が「真似男ヶ峠」で、登って来た方向。右は、「高梁市落合町」へ降りる道。
「落合町」側からの方が距離は短いですが、斜度はあまり変わらないかな。

ここから目指す「松原町」へは、まだ登って行くんですよね(^^;


山間に立派なお寺が有りました「深耕寺」です。

先程の分岐から少し水平移動。でも、また少し登って来て視界が開けた所に有りました。

同じ場所に、右の写真の道標も。何て書いてあるのか、良く解りません。(カーソルで拡大します。)


再び登って・・・広域農道「かぐら街道」へ合流。

ゆるゆるとですが、登って行きます。ここら辺りは、昔とそう変わって無いので覚えがあります。

が、右の写真の広域農道「かぐら街道」は、まったく記憶が有りません。
写真に有る案内板を見て、昔のルートを思い出しつつ・・・左の方向に向かう事に。


「かぐら街道」から先は・・・。

水平移動かと思ったのですが、いきなりの登りで(^^;
現代の道の造成基準はクルマなので、平気で斜度がキツくなったりしますね(笑)。

登りきった所に立体交差が有って、その右手方向が「松原」となっていたので、右手へ。
しかし、その道は右の写真の様な林道で(笑)


素晴らしい景色と涼やかな風、そして懐かしい景色。

林道を抜けると、見慣れたバスの通る道に出ました。その道を「松原」の中心に。
途中、県道を見下ろす素敵な景色の場所が有りました。(写真:左)

右の写真が「松原」の中心部。と言っても学校と郵便局、雑貨屋さんと酒屋さん(営業して無いかも)。
雑貨屋のお婆ちゃんと、目的の家の話を少し・・・母の実家なんですが、今は誰も住んで無くて。
話している間、ほんと涼やかな風が吹いていて、凄く気持ち良かったです♪

だいたいの場所を聞いたので、行ってみようかと思って・・・この後、山中の林道を走り回る事に(笑)


タイムアップ・・・到達出来ず!

たぶん写真の場所の方向だと思うのですが
如何せん、昔の感に頼った行動なので。(笑)

何度も谷に降りて、登って・・・。
でも、GPSロガーの充電が切れたので、
走行データが取れてません(^^;

帰着して、色々な情報を駆使して、
走ったルートを見てみましたが、
すぐ下まで行けた様です。また来年かな♪


一気に下って・・・「高梁駅」から輪行。

山中でウロウロしてる間に、時刻は16時半に。
そろそろ「岡山」に向かわなくちゃ(^^;

と言う訳で、記事中に有った「落合」への分岐に
戻って、一気に山を下って♪

途中、携帯で列車の時刻を調べて、
17時52分の列車が良さそう。

「落合町」からは、ゆっくりとしたペースで。
何故なら、山上に比べて、暑いったら(^^;

「高梁駅」に着いて、輪行状態にして。駅の売店で「ゆべし」と言う「高梁」のお菓子を買って♪
予定の列車に乗り込み、車窓の景色を楽しみながら「岡山駅」に到着。

駅から今日の宿の「駅前ユニバーサルホテル」までは、すぐなので、輪行状態のまま担いで。
宿にチェックインして、夕食を済ませ、洗濯をして♪

登りの嫌いな私にしては、日に2度も登りをこなしてます。
でも決して登りが好きな訳じゃ無いんです。ただ、その先に素晴らしい物が有れば、その一念のみですから。
そんな2日目も、大満足で終わりました♪(「松原」は少し残念だったけど)

3日目:'10夏旅:「小豆島 池田 〜 土庄 探訪記!」(10/08/09)に続く♪

本日の走行距離:約82kmでした。