#264:'11夏旅「岡山 〜 相生  廃線跡と旧街道探訪記!」(11/08/14)


夏旅、3日目。今日は「岡山 〜 相生  廃線跡と旧街道探訪記!」

今年のテーマは、NHKで放映されていた「こころ旅」の影響も有って、
心に残る、子供の頃に見た田舎の風景を訪ねてみようかと出掛けて来ました。

3日目のテーマは、「岡山」を起点に「旧山陽道(西国街道)」の風情と、
「けぇべん(軽便の岡山弁)」と呼ばれた「西大寺鉄道」の廃線跡を
ゆるゆると楽しんでみたいと思います。

日程は・・・

1日目:'11夏旅「根雨 〜 新庄 〜 新見 山里探訪記!」(11/08/11)

2日目:'11夏旅「新見 〜 吹屋 〜 高梁 山里探訪記!」(11/08/12)

 1日、お盆の諸行事でお休みして・・・(11/08/13)

3日目:'11夏旅「岡山 〜 相生  廃線跡と旧街道探訪記!」(11/08/14)

4日目:'11夏旅「相生 〜 姫路 旧街道探訪記!」(11/08/15)

では、3日目、「岡山〜相生」間の街道風情を楽しむ旅を、御紹介いたします。


夏旅3日目の朝、ここからスタートです。

昨日は、お盆の諸行事で、1日お休み。実家に泊まってました。
ですので、今日のスタートは、実家近くの「旭川」の堤防から。

子供の頃から、遊び回った「旭川」の堤防ですが、昔はこんなアスファルトの遊歩道や、
樹木の並木や、ベンチなんか無かったなぁ。ただの砂利道だった(笑)。

早朝から家を出たので、朝食がまだ。堤防を気持ち良く走って、「表町」の「キムラヤのパン」へ。
別に「表町」まで行かなくても、他の場所にも有るんですが・・・今日の行程上、ここに。

「キムラヤのパン」は「岡山」ではメジャーなパン屋さんで、子供の頃から、良く食べてました。
でも、特別な感じのパン屋さんでは無く、かなり庶民的な感じです。

ここで、お気に入りのパンを買って、「岡山城」の有る「烏城公園」で食べます♪


早朝の「表町」の様相を紹介。

「表町」は1丁目から3丁目まで有り「岡山」で一番の繁華街です。
写真の様にアーケードがずっと続き、色んなお店が有ります。

早朝ですので、殆ど開いてませんが、なかなかの賑わいの有る商店街なんですよ。
でも、夕方に歩いて(昼間は自転車は走れません!)みましたが、多少、閉店している所も有るみたい。


「岡山」には路面電車が現役です!

「岡山電気起動」通称「岡電」。
総延長4kmちょっとの短い路線ですが、
クルマの流れの中で、元気に走ってます♪

写真の古い車両の他に、低床のモダンな
車両も走ってるんですよ。

で、左の写真の様に、5分間隔で運行されて
ますから、生活の足として立派に役立ちます。


「旧山陽道」の「岡山」の入り口「京橋」です。

戦国時代「宇喜多秀家」が、城下整備の過程で、市街地北側を通っていた「山陽道」を、
城下を通る様につけかえました。
その際に現在の位置に掛けられたのが、今の「京橋」の始まりです。

現在の京橋は、照明や欄干の姿は変わってますが、橋桁などは大正6年の物だそうです。
右の写真は、平成3年の現橋基礎補修工事で発見された、江戸時代の石柱を、復元展示した物です。


「岡山県庁」近くの堤防上は、素敵な散策路。

「水ノ手筋」と呼ばれてるそうです。タイル敷きの遊歩道に、いっぱいの緑。
ゆったりと流れる「旭川」は、この日は鏡の様で、景色が映り込んで、素晴らしかった!

18年間「岡山」で育ちましたが、この歳になって散策して、改めて素晴らしい町だと思えたなぁ。


「岡山城」の有る「烏城公園」です。

「水ノ手筋」から「旭川」沿いに。「烏城公園」の木陰で「キムラヤのパン」で買った朝食を。
ついでに、今日の予定をブログに書き込んで、と。

ここの、すぐ近くの学校に通ってたんですが、当時はあまり来なかった。
今みたいに、整備されてなくて、陰気なイメージが有りました。

朝食も終わったので、それでは、本日のテーマ探索へ♪


「月見橋」を渡って「後楽園」へ。

「西大寺軽便鉄道」の「岡山」側駅の「後楽園駅」跡へ向かってます。

まず「烏城公園(岡山城)」から「旭川」を「月見橋」で渡ります。
橋の上から「烏城」を振り返って写真撮影。

「後楽園」の外側の遊歩道を通り、「後楽園」正門にて記念撮影♪
時間が有れば、中をゆっくり散策も良いですよ!


「西大寺軽便鉄道 後楽園駅跡」・・・今は「夢二郷土美術館」。

さて、本日のテーマ、まずは「西大寺軽便鉄道」の廃線跡をたどってみます。
「西大寺軽便鉄道」の「岡山」側の駅「後楽園駅」は、ここに有ったそうです。

「後楽園」から「蓬莱橋」を渡った正面に有ります。
左の写真の方向に駅が有って、右の写真の方向に路盤が延びていたそうです。


駅跡から東へ・・・でも(^^;

駅跡から東へ路盤は延びてたはず・・・ですが、そこは廃線後50年近く経ってるので、
今は、住居やビルが建っててトレース出来ません。

ですので、平行している道路を進んで行ったのですが、記憶違い!
途中で、南下していたのをすっかり忘れてて、まったく関係無い所をウロウロ(笑)。

だって右の写真の様な、いかにもそれっぽい道が有ったりして(^^;
ちゃんと資料を持って来れば良いんですが、荷物になるから持って来て無いのが悪いんだな。


携帯で資料を見て・・・取りあえず「旧山陽道」へ。

「百間川」までの間「旧山陽道」と平行していたのを思い出して「旧山陽道」へ。
左の写真は「岡山」中心部を振り返った物で、中央に延びて来ているのが「旧山陽道」。

で、右の写真のずっと延びてるのが「旧山陽道」。
前方右手のビルの先に「両備バスセンター」が有って、そこが「西大寺軽便鉄道」の「森下駅」跡。


「百間川」を越えて。

橋の上から、鉄橋が有った方を見ますが、当然、痕跡は見当たらず。
渡った先も、新興住宅街となっていて、しばらくは路盤は道としては残ってません。

ですので「旧山陽道」をしばらく進んで行きます。


路盤跡の道へ。

気持ち良く、交通量の少ない「旧山陽道」を進んでいたら・・・あれ、曲がる所が分からない!
どうも距離感が掴めてなくて、相当、来過ぎた感じで(^^;
こんな時は、素直に地図を見ようと、本屋へ寄って、地図入手(笑)

で、無事に目的の廃線跡の道へ。
写真左、ずっと延びてる道が廃線跡の道。同じ場所で「岡山」中心部を振り返ったのが右の写真。


路盤跡は、ここまで。

約700mの、ほぼ直線の道を進んで、左の写真がその終わり。

用水路に掛かる小さな橋の橋台部分、多分、当時の橋台を利用した物だと思う。(写真:右)

この後は「東岡山駅」まで、地図上で路盤跡と思える道は無く、駅まで迂回します。


「東岡山駅」へ向かって・・・。

迂回にしましたが、やはり気になってね。
何か路盤の痕跡が無いか探して、田んぼのあぜ道みたいな所をウロウロ。
結局、何も見つからず、コイツが(笑)(写真:左)

確か「クサキリ」って名前じゃなかったかな。写真を撮った後、道端の草へ逃がしてあげました♪

「旧山陽道」に出て、駅へ向かって進みます。


「東岡山駅」にて。

駅近くになって、付近をウロウロ。左の写真、「1958−12」と入った橋。関係無いかな?

「東岡山駅」は、「赤穂線」の分岐駅。
「西大寺軽便鉄道」の「財田(さいでん)駅」が、この駅の南に有りました。
「赤穂線」の開業に合わせて廃線となったのですが、廃線後も長い間、駅跡や路盤が残っていたそうです。


廃線跡に平行していた道が、続いてます♪

「東岡山駅」から南へ、写真の様に廃線跡に平行する道が続いています。
途中、駅舎だった建物が、そのまま転用されてると聞いていたのですが・・・見当たらなかった(^^;

また、右の写真の様な道標発見!でも、今回は戻っちゃ仕方無いので、直進。


廃線跡が遊歩道になってる区間へ。

「東岡山駅」から南下していた廃線跡は、「大多羅」付近で東へ向かいます。
「旭東中学校」が有る丘のふもとの、会社の敷地に石垣が有ったのが、その痕跡かな。

その先、廃線跡は、写真の様に遊歩道となって、現代に生き続けてます♪


廃線跡が遊歩道になってる区間を走ってます。

遊歩道ですから、クルマを気にする事無く、写真を撮りながら進めます♪

ここら辺りに「広谷駅」が有ったはずなのですが・・・何も有りませんね(^^;

写真を撮っていると「赤穂線」に列車が走って来ました。
なるほど、これくらい近いなら、競合させずに廃線と言うのも仕方無いかな。


「砂川」を渡って。

橋の位置は、変わって無いはずですが、堤防の高さが防災の関係で高くなっているのでしょうね。

遠くに「赤穂線」が見えます。「赤穂線 西大寺駅」は、「西大寺」の町の中心の北側になります。
「西大寺軽便鉄道」の廃線後は、昔の中心部からは、駅が遠くなっちゃったんですね。


「西大寺バスターミナル」です。

遊歩道の終点。そして「西大寺軽便鉄道」の
「西大寺駅」が有った場所です。

右手にバスが停まってる所の路面に、
ペイント代わりに線路が埋めて有りました!

そして・・・。

本社の建物が、「西大寺駅舎」を移築した物!

上の写真の中央辺りに、こちらに向かって建ってたみたい。
そして、右の写真が「財田(さいでん)駅」を移築した物。

当時の車両も、復元展示されてました!

バスターミナルの南側、大きな通りに面した所に、展示されてます。
車両の前後に付いているデッキは、荷物や自転車を載せていたそうです!

現代の列車も、こんなのが有ると良いのになぁ♪

車両横の「西大寺軽便鉄道 1910−1962」の文字は、往時は無かったはず。
「西」の字を意匠したマークが、単純だけど、分かり易くて良いなぁ。♪

車内にも入れるのですが、見ての通り、凄く綺麗です!
よく、無料展示されてる車両だと、ゴミを置いて行ったり、悪さする輩がいるのですが、
この車両は、凄く綺麗に保たれてます!きっと、皆さんに愛されて大事にされてるのでしょうね♪

これで「西大寺軽便鉄道」に関する探訪は、おしまい。
「旧山陽道」探訪の旅を続けるのですが・・・その前に♪


「西大寺観音院」です。

「西大寺」の地名となった古刹です。
「岡山」の人なら、「西大寺観音院」と言えば、裸祭りでしょうねぇ!
天下の奇祭「会陽」と言われ、縁起は奈良時代と言う歴史有るものです。

テレビでライブ放映されるのを見た事しか無いのですが、実際に来て見ると案外小さい本堂でした。
この境内に9千人もの参加者が入れるのかなぁ・・・?

午前0時に境内の明かりが全て消えて・・・。

写真の中央の窓から、「宝木(しんぎ)」が
裸の群れの上に投入されます。

網は、鳩避けに普段は付けられてるのかな。

境内の裏手には・・・

「牛玉所殿(ごおうしょでん)」が有ります。

神仏習合の鎮守堂だそうです。ここの奥殿は、パワースポットでもあるそうですよ!

由来とか、御利益とかを別にしても、この巨木の存在感が素晴らしい♪


「西大寺」の町並み。

「観音院」の門前町ですから、相当な賑わいの有った町でしょう。
写真の様に、風情有る町並みが残ってます。


「河本(こうもと)町」の「町家百軒」。

「西大寺」は「吉井川」の「高瀬舟」による水運でも栄えた所です。
「河本町」には、街道に商家が軒を並べ「町家百軒」と呼ばれていたそうです。

今も写真の様に、町家が残されて、良い街道風情を残してます。

さぁ「旧山陽道」に出るべく「吉井川」に沿って、北上して行きます。


「吉井川」の堤防道路をのんびりと♪

典型的な夏空の下、川風に吹かれながら、快適な旅を楽しんでます♪

回りを見渡すと、田園が広がり、山の中腹には、特産の「ぶどう」のビニールハウス。
つい、『良く冷やした「ぶどう」を食いたいなぁ』と思いましたが、そんな店は無いな(^^;

このまま進めば「備前大橋」の近くで、「旧山陽道」に合流するはずです。


「備前大橋」から「旧山陽道」を探訪します♪

「国道2号線」に出て「備前大橋」近くで「東岡山駅」付近で別れた「旧山陽道」に合流。(写真:左)

「旧山陽道」の「吉井川」は明治時代までは渡し船でしたが、今は当然「備前大橋」で渡ります。
でも・・・これが、ちょっと難しい。交通量が有るし、路肩は狭いし(^^;

何とか大回りして、橋のたもとに到達!


「旧山陽道」を進みます。

「香登(かがと)」地区から「旧山陽道」を走ってます。ゆるゆると曲がる道は、街道風情満点♪

右の写真は、新幹線からも見える「大ヶ池」。水面を渡って来る風が気持ち良くて♪


次は「伊部」の町。

「大ヶ池」を過ぎると「備前焼」の窯元が
街道沿いに多く見られます。

左の写真は、茅葺き屋根の家が有ったので、
写真撮影♪きっとギャラリーかな。

でも、歩道を示す赤い舗装は・・・。
風情に合わないけど、安全の為に仕方無いか。

以前も来た「天津神社」です。

「片鉄」の前日に来た事有ります。
そう参道に「備前焼」で出来た干支が有ったり、社殿の屋根も「備前焼」の神社。

今日は、先を急ぐので・・・入り口でお参り(喪中なので鳥居をくぐれないのも理由)。
右の写真の様な干支の焼き物が、いっぱい有りますから、ぜひどうぞ♪


国道に出て、小さな峠越えをして行きます!

「片上隧道」の手前で、反対側の坂を上がって、「葛坂峠」です。

登りきった所に「お夏茶屋跡」が有りまして・・・説明板によると、
『お夏は天性の美貌と知れ渡った評判の店は随分はやった』とか。

『美貌って・・・冷たいお茶とか、出してくれたらなぁ・・・お夏ちゃん♪』(笑)


「片上」の町です。

坂を降りて行くと、路地に出て、そこに道標が有ります。
「左 大阪 右 恵美須 道」と有ります。「恵美須」は「片上」に有る神社の事。

左に進んで「片上商店街」。ここの商店街は、ちょっと寂しいなぁ。


「津山街道」への分岐。そして、ここは・・・。

商店街を抜けると、「津山街道(かたかみ往来)」の分岐が有ります。
そして、ここは「片鉄ロマン街道」の分岐でも有ります。

つまり、「片上鉄道」の踏切が有ったのでしょうね。


「片上宿 宇佐八幡宮」にて。

ここも「片鉄」では寄る様にしてますね。大きな「備前焼き」の狛犬が有る神社です。

境内の前で、旅の無事をお祈りして・・・さあ旅を続けます♪


「片上宿」の終わりには、坂!

結構キツい坂です。
その証拠は、路面がアスファルトじゃなく、
セメント舗装って事!

でも、距離が短いからね。
それにMTBだから、ギア軽くすれば♪

と言う事で、無事に登りきります。


「東片上」の集落から先は国道になります。

写真の様に、ユルユル登ってますねぇ・・・登り嫌いなんだけど。
でも、ここから県境の「舟坂峠」までは、登って行くはずなんだよなぁ。

と横を見ると「片上一里塚」の碑。
結構新しいところを見ると、街道ブームは「旧山陽道」にも広がったのかな♪


国道の走り辛い所は、こんな道を。

道幅が狭くなって、路肩も歩道も無い所で
左の写真の様な道が有れば、もちろん、こっち。

斜度は緩いし、クルマは来ないし。
こっちの方が、旧街道じゃないのかなぁ。

でも、この手の道は、気を付けないと、
行き止まりって事も有りますよ(笑)。


「八木山一里塚」跡付近です。

写真の様に、何度目の登りのピークでしょう。でも、また少し下って、登るんです(^^;

こう言う新しくなった国道を走るのは、景色的にもつまらないんですが、
右の写真の様なのが有ると、少しは、気がまぎれるかな。


「舟坂峠」です・・・この先「兵庫県」。

さっきの場所から、ここまで写真有りません。ちょっと登りばっかりで、撮る元気無かった(^^;
あまり写真にしたい様な場所が、無かったのもあるんだけどね(言い訳じゃないぞ 笑)。

「船坂峠」は「旧山陽道」の難所って聞いてたから、「船坂トンネル」で楽しようと思ってたら、
『この先、歩行者、自転車専用道は左(←)』ってなってたから行ったら・・・。

なんと旧国道で、しかも、ユルユルと登ってる。
左の写真「船坂いこいの広場」って石碑が有りましたが、薮だし、お墓も有るし(^^;

で、二股になったと所で、どちらにも行けるとなってたので・・・登らない方へ行くと、
右の写真の旧国道の「舟坂峠」。昔はトンネルで、その後、この切り通しになったと記憶が。

しかし、まぁ、歩行者、自転車専用道って言うなら、もう少し整備して欲しいなぁ!


「梨ヶ原」地区です。

「船坂峠」の下りから、写真の様な「西国街道」の案内板を見掛ける様になりました。
それを頼りに、ここ「梨ヶ原」まで来てます。
この地は「船坂峠」越えの為の、宿場が有ったのでしょうね。

案内板では、国道を渡って進む様になってますが・・・地形的に案内板の示す方向は山なんだが。


「有年(うね)」地区です。

「梨ヶ原」から「有年」へは、「西国街道」では「有年峠」で山越えですが、
今は通れる様な道じゃないらしいので、大人しく国道で来てます。

もっとも、「船坂峠」より東の「西国街道」の下調べが曖昧なので・・・トレース出来ない!
ま、今回は、それらしい風情有る道をたどれれば良いか(^^;

左の写真は「有年」の入り口にあたる「千種川」。
川の中に有る橋脚の跡は、たどって来た旧道の橋跡でしょうね。

「有年」に入ってからは、右の写真の様な道を選んで走ってます♪


「有年」〜「若狭野」地区です。

この辺り、完全に「西国街道」のルートが頭に残ってません(^^;
ですので、写真の様な、それっぽい道を走っているだけです。

「船坂峠」より東の「西国街道」は、またきちんと走ってみなきゃね。

時刻は16時半過ぎなので、本日の宿は「相生」に決定。携帯で宿を取ります。

そして「相生」までは、国道を進めば良いのですが・・・。


何故か・・・「相生大橋」です(笑)。

「若狭野」から「相生」の間は、旧街道と現在の国道が重なる区間の様です。
なので、国道を走ってれば「相生」に自然に到着するはずなんですが、
「相生市街地 ○00m →」の道路看板の曲がる位置を間違えた様で(^^;

新しい道だったので『きっとバイパスが出来たんだろうな・・・』くらいに考えて、
ご丁寧に坂を登って降りたら・・・あれ?海?

写真の「相生大橋」の近くに出てしまいました(笑)。
この後、右の写真の方向へ向かって、無事に、本日の宿に到着しました。

3日目の旧街道の風情と廃線跡を巡る旅でしたが、後半、下調べ不足で不完全燃焼でしたね。
でも、それっぽい風情は感じられたから、今年は良しとしましょう(笑)。

さて、明日は、夜には帰宅しなきゃならなくなってしまったので、明日は、半日ポタの予定です。

4日目:'11夏旅「相生 〜 姫路 旧街道探訪記!」(11/08/15)に続く♪

本日の走行距離:約98.5kmでした。